最終更新日 2004/07/13

 フィリピン<その1>

フィリピンぶらぶら1<ルソン島北部>

7109もの島々からなるフィリピン。しかし、まず行かねばならんのは海ではなく、山であり、会わねばならんのは海洋ではなく山岳民族なのだ。ルソン島北部コルディジェラ地域には、世界遺産の棚田がある。コルディジェラとはスペイン語で山脈を意味する。そもそもフィリピンの国名もスペイン国王フェリペの名からきているし、公用語であるタガログ語の中には、スペイン語の単語が多く残り、いまだに数はスペイン語で数える。フィリピンは旧スペイン領なのだ。

 

ジプニーがいっぱい バギオの市場

まずはフィリピン人憧れの避暑地バギオに向かう。夏の政庁がおかれる涼しい街。コルディジェラ地域の中心だけあって、織物などの民芸品が高めだが多く集まっている。大きな市場があり、野菜の種類も豊富だ。イチゴの生産地なのでイチゴジャムがここの名物。

バギオまではオロンガポより7時間強(ビクトリー・ライナー社 普通P247。もちろんマニラからも便があるが、スービック滞在中につきオロンガポより行っている)。バギオの街に入ってすぐに英霊塔が見えた。フィリピンは太平洋戦争の激戦地だった。そのため、戦闘があったところにはこのような英霊塔が立っている。

 

サガダの土曜市

緩やかなサガダの棚田

バギオのダングアターミナルからバスに乗り、サガダへ(普通P189 所要7時間強)。バギオより先はずっと未舗装道路。山間に見える棚田が美しい。しかし、悪路ゆえ(それでもボリビアほどではない)、車に酔った子供がバスの車窓から紫色のゲロを吐く。そればかりではない。大人は路面に真っ赤なつばをかーっペっと吐き捨てる。なぜにここまでシュールリアル。えらいとこやな。フィリピンの山奥。紫ゲロの正体は紫芋で、赤い唾液はビンロウであった。フィリピンはタイと同じくおかまが多いが、ここコルディジェラではビンロウ樹の実を噛むため、おかまじゃなくても口紅を塗ったように唇が赤い。

 

 

エコー・バレー スゴン洞窟

サガダは土曜日に市が立ち、近辺の村から集まった人々で朝早くからにぎわう。マウンテンティというアンデスのコカ茶のように乾燥させた葉にお湯を注いだお茶がある。まだ犬を食べると聞いたので、犬料理を出す店を探しまわったがついに見つからず。犬を食べる人はすでにかなり少数派であるらしい。ここの名物はライスワイン。白米でつくったものと赤米でつくったものがあり、赤米のワインはほんのり赤い。しかし、甘いのがいただけない。甘いというのは甘口ということではなくて、本当に砂糖が入っている甘さ。アルコール度数は低く、ジュースのようだ。

 

 

サガダのみどころは棚田と洞窟。しかも、ただの洞窟ではない。遺体を収めた棺が吊るされたり、入り口に積みあげられたりしているのだ。カルバリー丘にある墓地をまわりこんだところからエコー・バレーに吊るされた棺が、ライトターンという店のテラスからスゴン洞窟の棺がよく見える。なお観光客の死亡事故があったマタンキブ洞窟は現在閉鎖されている。棺はないが鍾乳洞のあるスマギン洞窟は、強力なライトを持っていかなければ普通の懐中電灯くらいではなにも見えないのでガイドを頼んだほうがいいかも。その他のみどころは観光案内所で売っているP10の地図があれば自力で行ける。ひんやりとした入り口にびっしりと積みあげられたルミアン洞窟の棺は、600年前のもの。崩れ落ちないようにか、ところどころ井形に組んで積まれている。棺は木製なのだが、すでに木ではないかのように石灰化して見えた。

ルミアン洞窟 積みあげられた棺 ヤモリが彫られている スマギン洞窟

 

ボントック博物館 おばあちゃんと孫

サガダを後にし、ジプニー(P25 所要1時間)でボントックへ。ボントックには博物館以外にみどころはないが、民族衣装を着た年配の先住民を他のどの街よりも多く見かけた。ジプニーから降りたとたんに、いきなりふんどしをつけたおじいさんが歩いていた。おばあさんは一匹分の蛇の骨を頭にぐるりと巻きつけている。先住民に興味があるなら博物館(P40)は必見。ルソン島北部各地の民族衣装や植物の繊維で編んだ生活用品、首狩りの風習を撮った写真などが展示されていてたいへん面白い。中庭には伝統的な高床式住居が再現されている。

 

 

ボントックからさらにジプニーで30分(P16 便少ないので要注意)、棚田が美しい小さな村マレコンへ向かう。ジプニーを降りた人々はあぜ道を歩いて棚田の上にある家まで帰る。陽射しが強くてとても暑いのだが田を渡ってくる風は涼しくて心地よい。真っ裸の子供が棚田の真ん中を流れる用水路に我先にと飛びこむ。それはかつて日本にもあった風景だ。長崎の山奥の母方の実家もやはりこんな棚田だった。肥やしにするのにレンゲを咲かせるため、春先の棚田は一面のレンゲ畑となった。あれは日常で出会った最も美しい風景だった。そのせいか棚田には懐かしさを感じる。ボントックへの帰りのジプニーを待つ間、ある家庭に招かれた。おばあさんが二人、竹の皮で包んだ赤米を蒸したものをお昼に食べていた。カメラを出すと露骨に顔をしかめたが、生まれたばかりの孫と一緒ならと写真を撮らせてくれた。愛らしい赤ん坊を抱く彼女の腕には、一面に鮮やかなイフガオ古来の刺青が施されていた。

マレコンの棚田

用水路で水遊び

あぜ道を歩く

すずめおどし

 

バタッド

バナウェ

ボントックからバナウェへはバスで2時間半(普通P70)。バナウェでも規模の大きな棚田が見られるが、さらに踏みこんでバタッドという村まで行った。とにかくアクセスがたいへんなのだ。帰りなどは土砂崩れで車が通れず、石をどけて道を開けた。しかも観光客料金が決められているため、バタッドまでの交通費はやたらと高くつく。それでもなんとかバタッド村へのトレイルの始まりまでジプニー往復P1750のところ、バンガアンをつけてP1250にした。しかし、そんなことなどどうでもよくなるほどバタッドはいい。山道を歩くこと45分、いきなり目の前が開けて棚田が広がる。どこよりも急勾配の棚田だ。村はすり鉢の底にある。その周りの山という山にはすべて等高線のように棚田が刻まれている。世界八番目の不思議とも言われる棚田は、さながら天国へ昇る階段のようだ。それは2000年に渡る日々の営みが成せる業だ。雨季の今は夕方に激しく雨が降ることが多い。写真に撮るには光が足りないが、緑の上に雨が降るのを見ているのは好きだ。山間から湧き出した雲が棚田を覆っては晴れるということを繰り返す。雨上がりの磨かれた緑の美しいこと!そして、夜には電気のないバタッドに無数の蛍が飛び交う。

 

バナウェのような山奥でさえもすでに伝統的な民族衣装を着ている人はいなかった。泊まったゲストハウスの壁にアロヨ大統領がこの村を訪れたときの新聞記事が貼られていた。記事に添えられた写真ではバナウェの人々は民族衣装を着て大統領を歓待しているが、式典や祭のときにしか身につけることはないのだという。バナウエの棚田を見下ろす展望台には自分で歩くこともままならない、民族衣装を着た高齢者が道端に座りこみ、通りかかる観光客に写真を撮らせてチップをねだっていた。陸の孤島ペルーのイキトスで見た観光客が来るといきなり服を脱いで踊り出す先住民、ボーラ族とヤグアス族を思い出した。貨幣経済の渦中で原始共産制を貫くのは容易なことではなく、その移行を目の当たりにするたびに悲しくなる。自ら見世物となることで民族の誇りは失われつつある。

バタッド バタッドの民家 バンガアン バナウェ

 

←くっちゃね@トリニダード&トバゴ

旅雑記<04年・05年>目次

フィリピン<その2>→


[PR]女性が輝く公文の先生募集中!:全国で教室開設説明会開催