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最終更新日 2003/04/14

 ペルー<その9>

ペルーぶらぶら7<プカルパ〜イキトス〜ユリマグアス2>

ボーラ族の正装

イキトスのベジャビスタ・ナナイ港からランチャでパドレ・コチャへ(s/.1)。そこからは歩いて、ボーラ族とヤグアス族の村に行く。一本道とはいえ、ジャングルの中なので迷った。パドレ・コチャに着いたとき、村の若者がガイドを申し出たのだが、彼が手にマチュテ(山刀)を持っていたので雇う気になれずに断わった。ジャングルに住む人が足元の草木を掃うためにマチュテを携帯するのは習慣だけれど、当然持ち主の意思次第で凶器にもなりうる。グアテマラではマチュテを持った山賊が出る。村の若者はただちょっと道案内をしてチップを稼ぎたかっただけなのだろうが、やっぱり躊躇する。強盗に遭うよりも道に迷う方がはるかにましだ。

イキトスにはアマゾン博物館(”学割”s/.2)があり、ペルー国内だけでなく他国のアマゾンの少数民族の像や写真、生活用品などが展示されている。イキトスからジャングルへのツアーが出ているが、ボリビア・ルレナバケの方が安い。ルレナバケは3日で50ドルだが、イキトスは1日で50ドル。ただし、イキトスにはカワウソがいるがルレナバケにはいない。そして、ルレナバケにはイキトスのように少数民族が住んでいない。ルレナバケでピラニアも釣って食べたし、アナコンダもピンクドルフィンも見た。イキトスにはアマゾンの動物ではなく、人、少数民族を見にきた。

ボーラ族はサン・アンドレス村にいる。観光しやすいようにわざわざサン・アンドレス港のすぐそばに住んでいる。雨季になると観光客が減り、川が増水して水没してしまうので、彼らは高台にある本来の居住区に戻る。村に着くと「民芸品を見たいか。ダンスを見たいか」とまず訊かれた。しまった。米とかたばことか贈り物を用意しておくんだった。生活の様子を見せてもらったお礼として民芸品は買うが、わざわざ観光用にやるダンスは見たくない。「いえ、普段の生活通り、普通にしていてください」と言うと、彼らは高床式のこじんまりした家の中で民芸品をつくりはじめた。村人と世間話をしているとサン・アンドレス港にボートが着いた。村人全員、急いでそれまで着ていたTシャツを脱いで上半身裸になり、木の繊維でつくったスカートとパイチェのうろこや鳥の羽でつくったアクセサリーを身につけ、顔に何本か線を描いた。そして、ダンスと民芸品を見せるために用意した家にドイツ人夫婦の観光客とペルー人ガイドを招き入れ、歓迎のダンスを始めた。隣と無駄話をしながらのいかにもやる気がなさそうなダンスなのだが、それでもドイツ人のおじさんは熱心にビデオをまわしている。彼らが民芸品を買って、またボートで帰っていくと、村人はやれやれといつもの服に着替えた。彼らはもう裸族ではないし、スペイン語を話す。けれど、観光客の期待しているようなボーラ族で在ることが彼らの仕事なのだ。

 

風通しのよい高床式住居

民芸品をつくっているところ

自然素材100%の民芸品

植物の繊維でつくったスカート

 

ヤグアス族の家

吹き矢

木の実や種を使ったブレスレット

ボーラ族の民芸品を買って、ヤグアス族の村に行った。案内をしてくれたボーラ族の若者は「民芸品を買ってやってくれ」と言い残して戻っていった。ここでも私が着いたとたんにみんな服を脱いで、木の葉でつくった民族衣装をつけて出てきた。いきなり服を脱がされて、驚いた子供が泣き出すと、「お金がなくて食べ物が買えないから、お腹がすいて泣いているのよ。だから、なにか買ってちょうだい」と目のどろんと濁ったおばさんが言った。旅行会社の観光コースになっているボーラ族にはまだ余裕があったが、観光客が来ることなどめったにないヤグアス族は必死だ。こんなときにしか現金収入が得られないのだろう。撮影料は1枚s/.10だとふっかけてきたので、彼らの姿は撮っていない。結局、ボーラ族の村ではs/.5ですんだが、ヤグアス族にはs/.20も買わされた。資本主義社会に”発見”さえされなければ、彼らは原始共産制のまま幸せに暮らしていただろうに。なんだか悲しくなってきたので、イキトスから簡単にアクセスできる、もうひとつの少数民族イトトス族の村には行かないことにした。

 

マンジョウカ(ユカ)

パイチェはこんなに大きい

現金収入はなくてもジャングルは豊かで食べるには困らない。彼らの主食はマンジョウカという芋。ご飯と同じでそれ自体に味はないのでなんにでも合う。果物や木の実も獲れる。吹き矢で鳥や猿、ジャガーを狩る。大蛇アナコンダはごちそうだ。アマゾン川は魚が豊富である。特にパイチェという魚は大きさが2メートル以上、重さが50キロ以上ある。少数民族はこの魚のうろこでアクセサリーや民芸品をつくる。うろこは足の親指の爪よりもひとまわりほど大きく、スパンコールのようだ。アナコンダの骨でブレスレット、ジャガーの皮でポシェットをつくる。ジャングルではもしかしてアナコンダが食べられるかもしれないと期待して行ったのだが、ルレナバケでは食べる習慣がなく、イキトスの市場では見つけられなかった。アナコンダを見つけるのは難しいとボーラ族も言っていた。

 

ジャガー

トゥカン

カワウソ

ジャングルツアーに行かなくてもカワウソはイキトスのキストコチャ動物園(”学割”s/.1)にいる。オウムやアナコンダ、猿などジャングルに住んでいるたいがいの動物はここにいる。植物園もあり、呪術師がトランスするのに用いる、幻覚作用があるアワヤスカなど、薬用、食用、さまざまな用途の植物が見られる。少数民族の村を訪れた翌日に動物園に行ったので、どれもこれも彼らの胃袋におさまるのだろうなと思うと、どうしてもどの動物も食べ物に見えてしまう。カワウソはうまいのだろうか。トゥカンの焼き鳥はどうだろう。パイチェは動物園にもいるが緑に濁った水の中に沈んだまま、なかなか水面に上がってこないので、ベレン市場の魚売り場の方が見られる可能性はずっと高い。

 

イキトスからの復路は、アマゾン川からマラニョン川、ワヤガ川とユリマグアスまで遡る。イキトスからユリマグアスまでは船で丸3日(所要時間は水量次第。モローナ号・s/.40・食事込み)なのだが、あいにく乗客が集まらず、3日出なかった。客が集まり次第出るということはいつ出るかわからないということで、その間ずっとマスーサ港に停泊した船で待っていなければならなかった。最初はエドワルドV世号という客船が出るのを待っていたのだが、客をつなぎとめるためか、怒りをなだめるためか、食事が一度支給された後、3日出航が遅れることを知らされ、港のはしっこに停泊していた貨物船モローナ号に乗り換える。だが、そのモローナ号も出る出ると客を引き止めながら、結局3日出なかった。しかも、うだるように暑い船中に吊ったハンモックで待っている間に食中りし、いったん吐き気が治まり、小康状態のうちに船が出た。出航したとたんにひどい血便の下痢が始まり、鳥肌が立つほどの寒気と腹痛に襲われ、そのまま3日間ハンモックに寝たっきりだった。原因は果物。名前も知らない果物を食べたら、元々あまりにすっぱいものなので腐っているのがわからなかったのだ。すしづめでトイレに行くにも並ばなければならないエドワルドV世号に乗らなかったのは不幸中の幸いだった。売店で下痢止めを買ってのんだが効果はなく、隣のにいちゃんに言われるまま、メンソレータムを腹に塗ってマッサージしてみたがもちろん効果はなく、腸の粘膜まではがれて出てきた。風邪をひいたときに鼻をかみすぎて痛くなることがあるが、痛くて肛門が拭けなくなるほどひどい下痢をしたのは初めてだ。ユリマグアスで抗生物質をのんだら血便はとりあえず治まったが、下痢は1ヶ月治まらず、イキトスでの船を待った3日と下痢によるロスが後々ピスコ・イカ・ナスカ・アレキパをまわる時間が足りなくなる原因となった。

 

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