最終更新日 2003/04/18
スペイン<その4>
バルサ・マドリ強奪二連発!!〜実録 置き引き・首絞め強盗〜
1998年9月から翌年6月までのスペイン滞在中、なにひとつ危ない目にはあわなかった。スペイン入りした直後、ETA(バスク祖国と自由の略。バスク地方のスペインからの独立を目指す民族組織。)は向こう1年間のテロ活動休止宣言をしていた。リュックは常に前にまわしていたし、荷物を下におくときは必ず手提げの紐に足をかけていた。財布は持ち歩かず、最低限必要な額だけをジーンズの前ポケットにつっこんで出かけた。住んでいたアントンマルティンにはパトカーがしょっちゅう来ていたけれど、私自身がパトカーを呼ぶことはついになかった。
街角のいかさま賭博師とそのサクラ
強盗に比べりゃ、かわいいもんだスペイン在住の友人たちの話では、どうも昨年の2000年に治安が悪化し、今年2001年はいくぶんおさまったとのこと。それでも、あいかわらず日本人は襲われているようだった。日系人に間違われることはあるにせよ、私も見てくれはやっぱり日本人。しかし、今回11月10日から12月6日まで(内1週間はポルトガル)の短い旅行中に、二度も警察に足を運ぶことになるとは思ってもみなかった。
11月29日、バルセロナ在住の友人とカタルーニャ広場で待ち合わせ、ピカソ美術館のすぐ近くで18時すぎから飲み始めた。そもそも、ピカソ美術館、カテドラル、カタルーニャ音楽堂などの観光名所のある、ゴチック地区は危ないのだ。しかし、私たちがそんなことは百も承知でここに足を踏み入れるのは、いいバルがあるからである。とりわけ、いいバルというのはなぜか危ないエリアに存在するのがスペインの常なのだ。
彼女はコンプルテンセ大のクラスメートだった。まだそのころは今ほどインターネットが普及していなかったので、お互い海外に出たり入ったりで連絡がとれないままになっていた。2年半分のつもる話はスペインのうまい酒とつまみがあれば、さらにはずむ。
たまたま隣にスペイン人のおやじ5人組がいて、私たちにシャンパンをごちそうしてくれた。そのシャンパンの口あたりがよくて、うまいこと!おやじたちにあおられて、がんがん飲んでしまい、彼らが引き上げた後で私はつぶれ、トイレで三回吐くとテーブルにつっぷして寝てしまった。2時間ほどして私が目を覚ますと、今度は暇をもてあましてシャンパンを一本空けてしまった友人がすっかりできあがってしまっていた。間が悪いことに、そこで閉店時間が来た。
すでにメトロのある時間ではなかった。タクシーを拾いに大通りには出たものの、彼女は車に乗れるような状態ではなかった。とりあえず、カフェでたいして飲みたくもないお茶を頼み、友人には水を飲ませた。ささくれた胃を落ち着かせようと温かいお茶をすすっていると、いつのまにか彼女はふらふらと店を出て、道で吐いていた。二人分の荷物を抱えて、あわててかけよる。彼女の前にすわりこんで、声をかけながら汚れた服を拭く。ひとしきり吐き終えた彼女が顔を上げてぽそっと言った。「あ、荷物持ってかれた」酔っぱらっているうえに動転していた私は彼女のリュックを足下においてしまっていた。ものの5秒だった。
二人とも頭がまわらないながらも、とりあえず警察を目指す。彼女はバルセロナにここしばらく住んでいるし、私も以前、このあたりに半月ほど泊まったことがあった。二人とも地図を見るまでもなく、最寄の警察の場所は知っていた。そこは私たちが被害にあった場所の目と鼻の先にあった。どこの警察でも受けつけてもらえるものと思っていたら、そうではなかった。応待した警察官はここにはカード会社や銀行の電話番号の一覧がないから、ランブラ通りの警察に行けと言う。ああ、よりによってこんなときにまでやっつけ仕事の国、スペイン。
しかし、それだけでは終わらないのだ。ランブラ通りの警察に行くと今度はノウ・デ・ラ・ランブラ通りの警察に行けと言う。ノウ・デ・ラ・ランブラ通りといえば、カサ・ガウディのある、おそらくこの街で二番目に危ない通りだ。(ちなみに一番はノウ・デ・ラ・ランブラの一、二ブロック先にあるアラブ人街。まったくの手ぶらで行くなら、安全においしいラッシーが飲めるけどね。)「そこに着くまでにまたやられるっちゅーに」と二人で激怒しながらもなんとかたどりついた。
ノウ・デ・ラ・ランブラの警察官は私たちを見るなり言った。「それだけ酔っぱらってたら、どんな目にあってもおかしくはないね」友人はまた警察の表で吐いて、見るからに売春婦の二人連れに自分がどんな目にあったかをとうとうと説明している。その様子を見ながら、警察官はなおも言った。「君のお友達はかなり酔っぱらっているようだから、被害届はまた明日にでも家の近くの警察で出しなさい」警察の前でタクシーを拾って、グエル公園近くの彼女のピソに着いたのは2時をまわっていた。それから、彼女はあっちこっちに電話して、携帯電話やカード類を止めた。そのノウハウをまさかわずか4日後、マドリッドで実践するはめになるとはそのときは思いもしなかった。
12月3日、セラーノで買い物をして、メトロでセントロに戻った。うまい具合にお気に入りの古本屋の前に焼栗の屋台が出ていたのをデジカメで撮った。おそらくそのあたりからずっとつけられていたのだろう。17時前で表はまだ明るかった。ECHEGARAY通りはクリスマス前のせいか、工事をしていて見通しが悪かった。特に警戒して後ろを振り返ることもなく、泊まっていたオスタルのある建物に入った。階段を上がろうとしたとたん、突然背後から私の首に腕がまわった。浅黒い肌をした左腕のひじの内側でちょうどプロレスの技のように首を絞めあげられた。近づいてくる気配も足音もなかった。私が見たのは、賊の左腕だけだった。肌の色から察するにスペイン人ではなく、どうも北アフリカか、中南米出身者のようだった。
別に苦しくはなかった。力を振り絞って、声にならない声をあげたところまでしか覚えていない。首を絞められ始めてから気を失うまで5秒ほどしかなかったように思う。相手は常習犯で、かなり熟練した技の持ち主だったのだろう。そして、おそらく1分足らずのうちに気づいたのである。腰のあたりの冷たさに目を覚ますとそれは失禁によるものだった。デジカメと普通のカメラを入れていたショルダーバッグはもちろんなかった。ボディショップで買ったヘアワックスと、それと一緒にボディショップの袋に入れていたCDプレイヤー用のショルダーバッグもなくなっていた。唯一、残っていたのはセラーノの路上で買ったばかりのコピーCD4枚(2000PTS)。普段はCDプレイヤーなど持ち歩くことはまずないのだが、その日はコピーCDを視聴するためにたまたま持ってまわっていた。そして、着ていたフリースの胸ポケットが切られてなくなっていた。相手は刃物を持っていたのである。
すぐに泊まっていたオスタルにかけこんだ。スペインの伝統的なオスタルでは宿泊者はパスポートを預けることになっているため、私のパスポートはオーナーが持っていた。たとえそうでなくとも、パスポートはせいぜいコピーしか持ち歩かないようにしている。濡れたジーンズをねまきにしているジャージにはきかえた。それしか着替えがなかったからだ。腕時計は必ず上着の袖の下に入れるようにしているため、無事だった。ジーンズの前ポケットに入れていたペセタの現金も残っていた。いくら気絶していても、そんなところに手をつっこむのは至難の技である。それにしても、残された4枚のコピーCDがかえっていまいましかった。持っていくなら根こそぎ全部持っていけばいいのに。
フリースの胸ポケットに入っていた財布にはクレジットカードが3枚とシティバンクのカードが、日本のとスペインのがそれぞれ入れてあった。その日、セラーノに行く前に口座を持っているビルバオのシティバンクによったものの、営業時間に間に合わなかったため、銀行の手続き用の書類を一式持っていた。その中にはカードの暗証番号の書かれた紙が含まれていた。それらの書類を丹念に読めば私の預金が引き出せるはずだった。それでもそんなに焦ることがなかったのはスペインのATMでは一日に引き出せる額に制限があるということを知っていたからだ。
道端にある公衆電話は故障が多い。フリーダイヤルだから電話を使わせてくれるように宿のオーナーに頼んではみたものの、もちろん断わられ、しかたなく外に出て、そのへんのバルの中にある公衆電話でまず保険会社に電話した。クレジットと銀行のカードの番号の控えはパスポートにはさみこんでいたが、その連絡先がわからない。やっぱり保険はかけておくべきだ。こんなときに本当に頼りになる。保険会社の丁寧かつ迅速な対応のおかげで、すぐに3枚のクレジットカードと日本のシティバンクのカードは止めることができた。問題は肝心のスペインのほうのシティバンクだった。おしえてもらった電話番号には何度かけてもつながらないので、先に警察に行くことにした。警察に行けば、たとえまたたらいまわしにされても、そのうちに番号がわかるだろう。
たまたま行った警察は比較的親切だったが、それでもおしえてくれた電話番号はつながらないうえに被害届はここでは出せなかった。テレフォニカ(スペインのNTT)の番号案内はスペインのシティバンク(CITIBANK DE ESPAÑA)ではなく、訊いてもいないスペイン銀行(BANCO DE ESPAÑA)の番号を言ったりとどうも要領を得ない。結局、おしえてくれたのは警察にあるのと同じ、何度かけてもつながらない番号だった。署内の電話の前で困り果てている私のところに、最初に応対してくれた若い警察官が来た。「その電話じゃ、フリーダイヤルはつながらないから外にある公衆電話からかけるといいよ」…ほな最初っからそう言えっちゅうに。そんな電話おいとくなよ。ホデール!(JODER=くそったれ)
なんとかスペインのシティバンクも止め、ソルのメトロ駅構内にある警察に被害届を出す。あまりに日本人の被害が多いのであっさり日本語の書類が出てきたが、記入はもちろんスペイン語だ。それから、ネット屋に行き、ウェブメールに残していたマドリッド在住の友人の連絡先を確認して電話を入れ、翌日会う約束をした。(万が一、身ぐるみ剥がれたときのために、パスポートやクレジットカードなどの番号、緊急連絡先などをウェブメールの下書きに控えておくことをおすすめする。)電話口にはずむ彼女の明るい声にやっとほっと安心する。ポケットごと、持っていかれたオスタルの鍵は弁償せずにすんだ。オーナーがオスタルのある建物内で襲われたのだから、弁償しなくてもいいと言ってくれたのだ。しかし、それでも賊がオスタルの鍵を持っていることにかわりはない。普段からどのオスタルも宿泊客に玄関と部屋の鍵を渡すことになっているのだから、誰が外で鍵をコピーしているかどうかなんてわかったものではないのだけれど、それでもあまり気持ちのよいものではない。その夜は部屋の入口にいすを立てかけて寝た。
翌朝、治安のよいアルゲイジェスにあるユースホステルに移ると、数日前にプラド美術館近くの地下道でやはり首を絞められた日本人が泊まっていた。彼は気絶しなかったため、指を刃物で切られたそうだ。私もうまく落ちなければ、もしかすると切られていたのかもしれない。エレベーターの中で首を切られた日本人もいたそうだ。在住者だろうと旅行者だろうと、スペイン語が話せても話せなくても、そんなことには一切関係なく、日本人と見ればかたっぱしから見境なくやられているようだ。
ショルダーバッグがないので、スペインの高島屋、エル・コルテ・イングレスのビニール袋に身のまわりのものを入れて待ち合わせ場所に現れた私を見て、友人は言った。「エル・コルテ・イングレスだったらまだ襲われるかもよ。ディアの袋にしたほうがいいんじゃない?」ディアとはスペインの安売りスーパーである。ちなみに、スーパーでくれる買い物袋に身のまわりのものを入れて持ってまわるやり方を、私はジミー大西方式と呼んでいる。バルセロナに滞在中、何度もいろいろ盗まれたあげく、スーパーの袋に入れるようにしたら、やっと盗られなくなったという彼のエピソードにちなんで勝手に命名した。
盗まれたショルダーバッグには小額だが日本円を入れていた。現金はもう戻ってこないが、デジカメとカメラとCDプレイヤーは保険で補償される。デジカメの中に入っていたデータ―はかなり惜しいが、ものはまったく惜しくない。補償金でまた新しいものが買えることを思えば、かえってよかったぐらいだ。強盗にあって一番つらかったのは、おしゃれなアルゲイジェスをジャージでうろうろしなければならなかったことと愛聴しているスピッツと椎名林檎のCDを持っていかれてしまったこと。バッグには他にもこまごまとしたものが入っていたが、なくなってみて、なくても困らないことに気づき、まだまだ荷物は減らせるということを強盗におそわった次第である。まあ、首がしばらく痛むぐらいしか身体的なダメージがなかったから、こんなのんきなことが言えるというもの。なかには首の痛みがなかなかとれずに精密検査を受ける人もいるくらいなのだから不幸中の幸いだったのだが、その後、新しいデジカメと再発行されたカードを日本から送ってもらうため、チリ・サンティアゴに2ヶ月弱スタックした。その間にパタゴニアの夏を逃がし、南極船の出るシーズンは終わってしまった。
中南米旅行者に、このスペインでの話をするとみんな口をそろえて、「中南米よりもスペインのほうがはるかに危ない」と断言する。それもそのはず、アフリカと中南米からそういう連中が”出稼ぎ”にアウェイであるスペインに来ているのだから、彼らのホームはお留守のはずなのだ。実際、日本人がヨーロッパであう被害の3分の1がスペインで起こっている。
スペイン人はお国自慢が好きだし、海外旅行には関心がない。彼らが物見遊山に遠出する気にならないほど、スペイン国内にある、4つの言語と16の地方はそれぞれが特色豊かだ。そんな素敵な国だからこそ、スペイン政府、スペイン観光局、スペイン警察には、外国人観光客、特に標的とされがちな日本人がおびえることなく、街を歩ける日が来るようにぜひがんばってもらいたいもんだよ、まったく。”Venga, en marcha España!”(さあ、スペインよ、進め!)