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最終更新日 2003/11/08

 エクアドル<その1>

キトで結成!コトパクシ登山隊

世界最高峰の活火山コトパクシ

 

2003年7月12日、エクアドルはキトにいた。日本人バックパッカーのたまり場、ホテルスークレ(→ホテルスークレ www.mucha-suerte.com/sucre.html)のフロントでみんなで飲んだくれているところに、ほとんど手ぶらのにいちゃんが到着した。かなり夜更けである。持っているものは小さな手提げひとつ。しかもよく見れば着ているものが血だらけだ。いったいあんたはなんなのさあと酔っぱらいたちの注目を一身に集めてにいちゃんは言った。

 

「やられました。コロンビアで」

 

ボゴタに着いていきなり迷いこんだモンセラーテの丘のふもとで襲われたのだと言う。どこの街でも丘とそのふもとは危ないと相場が決まっている。使えない地球の歩き方の地図にさえ、「強盗、ひったくりに気をつける」とそのあたりには書かれている。なんでまた、よりによってそんなところに荷物かついだまま、迷いこむかなあとみんなそのにいちゃんのことを口では気の毒がりながらも内心ではかなりあきれている。彼は手を刃物でざっくり切られ、びびってボゴタからキトまでとにかく日本人のいるところを求めて飛んできたのだ。

その後、ホテルスークレでそのにいちゃんは”コロンビアくん”と呼ばれることになった。彼の前にもスクレには、「週末と夜行のバスには乗るな」というコロンビアの掟を破ったばっかりにバス強盗に遭い、やっぱり全部持っていかれて緊急帰国することになった”コロンビアちゃん”がいた。

さて、その”コロンビアくん”が今回のコトパクシ登山言い出しっぺのRである。

ボゴタからHというねえさんと一緒に南下してきて、ホテルスークレの屋上で繰り広げられた焼肉の宴で花(→ROOM HANA www.h4.dion.ne.jp/~roomhana)という半年の予定で南米に入ったばかりの女の子と仲良くなった。私はマチュピチュに歩いていったし、アンデス山脈も徒歩で越えた。花はホノルルマラソンを完走している。Rはなんといっても若い。お父さん、お母さん、丈夫な身体をありがとうと地球の裏側にいる親に深く感謝して、うちら4人は即席コトパクシ登山隊を結成した。

ただHが体力に自信がなく、みんなの足手まといにならないかと心配していた。しかし、高山病はまた体力とは別問題なのだ。私は去年、長い間ボリビアやペルーの高地にいたから、高山病にはおそらくならないだろう。元々、ちょっと頭が痛くなる程度の軽い症状しか出ないのだ。標高2850メートルのキトに入ってまだ間もない花もRも高山病でダウンする可能性はある。コトパクシ登山ツアーは2人に対して1人ガイドがつく。登り続ける人たちに1人と下山する人たちに1人つくためだ。もし、途中でへばっても他のメンバーに気兼ねすることなく、無理せずに脱落することをみんなで約束した。

 

地球の核からなら世界最高峰のチンボラソ

 

ホテルスークレで出会ったアルピニストDa-さん(→Da-&Kan's HOMEPAGE norada.fc2web.com)に登山というものについていろいろおしえていただく。同じアンデスの国でもペルー、ボリビアはトレッキングが楽しめるが、エクアドルはトレッキングを通り越していきなり登山になってしまう。Da-さんは、チンボラソに登るため、登山仲間の到着をキトで待っていた。エクアドル富士コトパクシ山は標高5897メートル。世界最高峰の活火山である。エクアドル国内最高峰のチンボラソは6310メートル。赤道直下にあるので地球の核から最も遠いところに頂点がある山だ。だから、ある意味チンボラソは世界最高峰なのだ。

我々、登山隊はコトパクシに向けて着々と準備を進めていった。サキシリの木曜市でそろいの目だし帽を買った。かぶってみたら、まるで一人足りないゴレンジャーだった。温泉地バニョスでRの手の傷が早く治るよう湯治した。予行練習にバニョス最寄のトゥングラウア山(5016メートル)に登ろうとしたら噴火中でとめられ、やむなく裏山の展望台まででがまんした。コトパクシ国立公園最寄の町ラタクンガで登山ツアーを頼み、カロリー摂取のために刻んだ黒砂糖を大量に溶かしただだ甘い紅茶を用意した。準備万端。ほな、いこか。

 

<1日目>2003年7月22日:昼12時、ラタクンガを出る。車に乗ること1時間半、コトパクシ山高度4500メートル地点に到着。山小屋まで300メートル。車を降りるとすざましい強風にいきなりあおられる。フル装備をかついで歩き出したとたん、はんぱじゃない息苦しさに襲われる。まだここまで乗ってきた車が停まっていたら、ラタクンガまで逃げ帰ろうかと思ったほどだ。着ていた服の襟を引っ張りあげ、中に顔を沈める。そして、過呼吸にならないようにゆっくり大きく息をした。苦しいのは歩き始めた直後だけで、すぐに楽になった。それにしても、風がきつい。下が砂地なので足をとられるうえ、舞った砂が目に入る。でも、元気だ。本当はがしがし歩いて早く山小屋で一息つきたかったのだが、他の隊員のペースにあわせた。乾燥しているのでやたらとのどが渇く。信じられないことにたった300メートルに2時間もかかってしまい、山小屋から3時間の氷河にピッケルの使い方を練習しにいくことができなくなった。隊員全員、食欲はまったく衰えず。バッテリーが切れないようしっかり食ってさっさと寝た。

 

<2日目>2003年7月23日:夜中12時起床。電気がないので懐中電灯の灯かりを頼りに装備をつける。軽くシリアルにヨーグルトをかけたものを食べ、1時すぎに山小屋を出る。風はおさまるどころか、ますます吹き荒れていた。風で吹きつけられた砂が身体にあたって痛い。嫌な予感がした。アルゼンチン・バリローチェで遭難したときもこんな風が吹いていた。そして、あっという間に吹雪になり、たった2時間で膝まで雪が積もったのだ。案の定、歩き出して20分も経たないうちにガイドが撤退を決めた。こんなときは死にいくようなもんだと唇が真っ白になるほど日焼けどめを塗ったガイドは言った。この日はすべてのグループが登頂できなかった。明け方、一番最後に戻ってきたグループは、目を真っ赤に充血させ、全身に雪を積もらせていた。本来ならば、深夜に出発して頂上で朝日を拝むはずなのだが、強風のためあえなく中止。もちろん、ツアー代金は戻ってこない。ありあまる体力を持て余して、不貞寝する。H隊員と花隊員は横になると息苦しいとサロンで座っている。山小屋の中で寝袋にくるまっていてもそれでも寒い。昼前に砂まみれになりながら、昨日来た道を300メートル下り、車でラタクンガに戻る。花隊員以外は風邪でダウン。不完全燃焼で無念のまま、ベッドに倒れこんだ。

 

<後日談>

2003年9月、Da-さんはチンボラソからコトパクシに目標を変更し、頬に凍傷を負いながらも無事に登頂した。Rは海パンとTシャツにビーサンという軽装で台湾に行き、温泉につかっている間にビーサン盗られて、裸足で街をさまよった。

 

★ラタクンガでコトパクシ登山ツアーを申し込んだ旅行代理店

TOVAR EXPEDITIONS

Guayaquil 5-38 y Quito Latacunga Ecuador
TEL:593(03)811333
CEL:098034094

・コトパクシ登山はコトパクシ国立公園最寄の町ラタクンガで申し込むのが一番安い。町にはたくさん代理店があり、どこもだいたい4人で申し込んで1人110ドル。参加人数が少なくなるほど割高。登山装備レンタルは含まれているがあまり手入れがゆきとどいていないので、店で壊れていないかどうか事前によく確認しておくこと。

 

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