最終更新日 2005/02/25
試行錯誤
<2005・2・25掲載>
今年は海外に行かないことになった。そのほうが都合がいい。ちょうどよかった。外に出て行く気力とか好奇心がなくなったとか、そういうことではなくて、今は日本にいるべきときなのだと感じていた。なるべくならテレビもラジオも新聞もない環境に、好きな音楽だけを持ちこんでしばらくひとりでいようと思っていた。
以前なら手間暇かけて計画したことが頓挫したら、ひどく落ちこんで立ち直るまでにどえらい時間を無駄に費やしたものだが、今なら「あーそうですか」でおしまい。関係者には早々に知らせて迷惑はかけなかったから大丈夫。これは私が年とったおかげなのか、スペインや中南米で過酷な経験を積んだおかげなのか。とにかく負ではなくて正の面をちゃんと見つけられるようになったことはいいことだ。
2月22日夜、大阪にいた。柵につかまってスピッツのライブを聴いていた。去年の今日、ベネズエラにいたことがまるで嘘みたいだなあとか思いながら。草野マサムネの歌声を聴けることは、とてもとても幸せなことなのだ。私にとって。2時間ずっと、もちろん立ちっぱなしでタテのり。とてもじっとなんてしていられない。
さんざん悩んだあげく、ベストアルバムだけ持って旅に出た。スペインに着いたとたんに首を絞められて強奪され、やっぱりアルバム全部持ってこなくてよかったとほっとした。それからスピッツなしで我慢すること丸2年。どうしても聴きたくなって、最新のアルバムとシングルをわざわざベネズエラまで持ってきてもらった。しかも、アルバムの発売日に間に合うように帰国した。我ながらあほである。
私の心の灯台、草野マサムネが曲の合間に言った。18歳で上京してきたとき、3月はまだ大学も始まってなくて誰も友達がいないからテレビばっかり見てたんだけど、もう何日もしゃべってないことに気がついて、部屋でひとり「あーあーあー」とか声を出してみたんだ。もう20年近く前のそんな寂しい話をしてからまた彼は歌い、大きな拍手と歓声を浴びて言った。「孤独じゃない」。そして、もう一度同じ言葉を繰り返した。まるで自分の今の状況を再確認するみたいな口調で。
1月、南米旅行記の企画書を編集の人に持っていった。コンセプト自体はしっかりしているからと試しに1章書いてみることになった。書いている最中にサイトの読者からメールが来た。「あなたのHPをぜひ出版したい」と書かれていた。読んですぐに気がついた。この人はまともな精神状態ではないだろう。彼女が書いているというブログを読み、自分の直感が当たっていることを確信した。
まるで4年前の自分からメールが来たみたいな気がした。あのころは大好きなスピッツさえも聴けないほどに弱り切っていた。悲しいけれど、どうしてあげることもできない。彼女は自力で境界線を越えて戻ってくるしかない。私がそうしたみたいに。そこは誰の手も及ばない領域なのだから。彼女に返事は出さなかった。
2月、1章分書き切れずに途中までになってしまったが原稿を持っていった。酷評してくれるようにお願いしておいた。数日後、もらった回答には「盛りだくさんすぎる」とあった。「コンセプトがぼやけているけれど、このままでも紀行物としてなら通す出版社もあるでしょう」とさらに続いていた。教えてもらった、主題を散漫にしないためのヒントでひらめいた。ただの紀行文で終わらすつもりはない。初めからサイトは旅の備忘録のつもりだった。これから書くのは別のリアルだ。
3月、東京に引っ越すことにした。そろそろ通うのも限界だなと思っていたら、ちょうどいいタイミングでゲストハウス管理人の話をもらった。ひきこもりたい私にぴったりの仕事だ。これなら無理しなくても好きなだけ書ける。ライターの友達からシュールな励ましのメールをもらった。「血反吐はきながら書け」。血まで吐くことはないだろうが、泣きながら書くことならしょっちゅうあるだろう。
書き終えたら孤独じゃなくなるんだろうか。バンドマンと似たような子供大人の私は思う。歌うたいはいいよな。曲ができたらすぐに目の前にいる人に聴かせることも一緒に歌うこともできる。でも、もの書きはそうはいかない。書くのも読むのもどちらも単独の作業で、誰とも共有する空間がない。言葉が時空を超えてどこかで誰かの心に落ち、その孤独を少しでも薄めることを一心に祈って書くしかない。
どうか私の言葉がひとりでも多くの人にまっすぐに届きますように。そして、触れた人の心が明るく、軽くなりますように。草野マサムネの歌声がいつも私にそうしてくれるみたいに。それが彼女をはじめとする、すべての人に私ができる精一杯。
2004・2・25 日本・滋賀にて執筆