最終更新日 2005/02/25
師走にハラキリ
<2004・12・31掲載>
病院というところは患っている人や怪我を負った人がよくなりに来るところなのだが、私の入院先は幸せそうに大きなおなかを抱えた女の人がたくさんいて、生まれたばかりの赤ちゃんの声が聞こえていた。バラ色に一滴でも灰色を落とすわけにはいかないから、私は個室で誰に気兼ねすることもなくため息をついた。
手術をがんばるのは患者よりも執刀医である。患者ががんばるのは麻酔から醒めた後だ。病室のベッドの上で気がついたら、右足がまだ麻痺して動かない。おなかを何箇所も切られているので寝返りもうてない。痛み止めを注入するため、背中に管が刺さったままになっているが、1時間おきに打っても痛くて眠れない。
4泊5日で退院するというスケジュールを守るために、その翌日から起き上がったり、トイレまで歩いたりしなければならなかった。たかだか重湯の朝食をとるのに身体を起こすことができない。器をトレイに戻そうと身体をほんのわずかひねっただけで、引き攣れた傷があまりに痛くて倒れこんでしまった。そんなだから、咳ひとつしても腹に響いた。くしゃみやしゃっくりでもしようものなら、死ぬかもしれないと本気で思った。
ひたすら眠って、出されたものをなるべく食べた。寝返りをうつことやトイレに行くことさえもが、苦行にも近い立派なリハビリだった。テレビで映画を見ようとベッドからソファになんとか移って横になろうとしたら、転がり落ちた。あまりの痛さにうなりながらしばらく床に寝ていた。ようやく治まったら、自分がソファから転げ落ちたということがおかしくてしょうがなくなった。笑いがこみあげてきて止まらなくなり、よけい痛みが増した。冷たい床にはらわたをぶちまけそうになりながら、しばらく悶絶していた。
我慢さえしていれば、どんな痛みもやがては治まり、どんなに嫌なこともいつかは終わる。はじめは身体や心が慣れて適応し、うまくするといつのまにかなくなってしまっている。それを不快と感じなくなるほどに自分自身が強くなるか。それが我が身から完全に消え去るか。いつだってそのいずれかだ。
退院から4日後、抜糸した。正確に言うと、抜糸の必要のない素材で縫った傷がはぜないようにとめたホッチキスを外した。ガーゼをとると製本用みたいなでかい針が6つも現われた。こんなもんが刺さっていても慣れてしまえば、さして痛いとも感じなくなるのだ。切ったへそには溜まった血が固まってこびりついたままだ。
検査の結果、切除した部分はいずれも悪性ではなかった。担当医はうれしそうにそうおしえてくれたが、正直言って私はがっかりした。そして、神様の胸座をつかんで問いつめたい衝動に駆られた。「私を生かしておくのなら、それなりの喜びや安らぎもちゃんと用意しておいてくれるのでしょうね?」傷つかないですみそうなキボウとか、そうゆうのをまた新しく探すのがもうどうにも面倒くさかった。
悪性の可能性があるとは言われていたが、悪性でないことはわかっていた。なぜなら私は生穢くて、生命力がとんでもなく強いからである。それにどう考えてもまだノルマも役目も果たせているとも思えなかった。これまでの経緯から察すると、もしかしたら私は不死身で、死ねないのかもしれない。
長い旅に出る前、日本ですごした最後のクリスマスはひどかった。やっと仕事が終わって、なかなか来ないタクシーを待っている私に雪が降ってきた。顔を上げると目の中に雪が入った。自律神経がいかれていて、うまく瞬きができなかったから、ばかみたいに目を開けたままでしばらく空を仰いでいた。解けた雪なのか、涙なのか、よくわからない水が閉じることのできない目からあふれた。
去年のクリスマスはベネズエラにいた。その前はペルーで2001年はチリにいた。なにをしていたかなんて覚えていないし、思い出したくもない。
抜糸の翌日から入浴してもいいとは言われていた。フィリピンから戻って10月の丸1ヶ月は入浴できなかった。小さな傷が膿んでなかなか治らず、リンパ腺まで腫れて微熱がずっと続いていたからだ。はったりとやけくそだけでとりあえず生きている私に人並みの抵抗力があるとはとても思えず、許可が出てもなお躊躇した。気が病むと書いて病気なのだ。気力がなければ身体も元気にはならない。
クリスマスにやっとお風呂に入る気になった。お湯につかりながら、引き攣れたおなかの傷を眺めた。背中には脂肪腫をとった痕がある。左足にはグアテマラで犬に噛まれた痕がある。右手の人差し指は凍傷の後遺症で相変わらず痺れたままだ。満身創痍だなと思いながら、いびつに盛りあがった新しい傷痕に触れてみた。鏡に映った私は、保健所の檻に入れられた犬みたいな顔をしている。
ベネズエラを出るとき、働いていた旅行代理店のオーナーが言った。「もう戻ってくるな」そして、こう続けた。「日本で優しい男とよい仕事に恵まれたら、もうどこにも行く必要なんてなくなるだろう? だから、戻ってこないほうがいいんだ」どうもありがとう、ルイス。でも、また独りでベネズエラに行くことになると思う。
私が泣いているから笑える人がいて、私が負けているから勝つ人がいる。そう考えると少しは楽になる。ものわかりのよい賢者にはなれそうもないから、あるだけの煩悩を引きずってどこまでも歩いていくのだろう。
また新しい年がやってくる。明日のことは誰にもわからない。昨日でも明日でもなく、今を生きよう。
2004・12・29 日本・滋賀にて執筆