最終更新日 2005/01/12
すべての旅人へ
<2004・10・29掲載>
フィリピンから4ヶ月ぶりに帰国して、日本にいる。3月に南米から2年4ヶ月ぶりに帰ってきて、3ヶ月足らず東京で走りまわっただけでまた出ていってしまったから、久しぶりにまともに帰ってきたような気がしている。1998年から翌年までスペインに留学し、2000年は中米、2001年からは南米にいた。おそらくもうひとつの旅の終わりを待たなければ、終止符を打つことはまだできないのだが、今はひとまず日本でゆっくりしている。
感傷的でも他人事でもなく、ちょうどよい距離からすべてのことを見ることができるところまでやっとたどりついたような気がする。旅が始まるまで、そして旅の途中で、それが私に遭ったことやその人と出逢ったことが、意味する本当のところはきっとわからない。だから、その時々に感じたことや時を経て今感じていることを反芻してみたりしている。
かつて田舎の高校生だった頃、東京の大学に進学して、進学後はアメリカに留学しようとたくらんでいた。ちょっと他人より偏差値がよかった井の中の蛙にとって、日本の中心は東京であり、世界の中心はアメリカだった。大した者になるはずの自分をとにかく中心に据えてみたかったのだ。
結局、不本意ながら生まれ故郷の京都に進学し、オセアニア短期留学と東南アジア観光でお茶を濁して大学生活は終わるのだが、出なかったことへの後悔はまったくない。英語なんか話せたところで肝心の語るべきものを自分がなにも持っていないことに気づくには、東京やアメリカに行くまでもなかった。滋賀から京都に出るだけで充分だったからだ。
その10年後、スペインに発った。いったん帰国した後、さらにグアテマラへ。それにはいろいろな思惑があったのだが、その理由を一言でいうとしたら、自分を取り囲む不条理から逃れたかったのだと思う。実際はまったく逆方向に向かっているということに、その時はまだ気づいていなかった。日本に帰ってきた私は、できるかぎり不条理にさらさぬように私を守ってきてくれた人を失い、やがては正気までもを失ってしまうことになる。
先進国はこれまでの発展の過程で不条理を極力減らしてきた。それでも残ってしまった分については、まるでそんなものはないかのようにとりすましている。潔癖なまでに清潔な教育を施されたあげく、社会に出た瞬間から日々我が身に押しよせる、なかったはずのものに誰もがとまどっている。そうして心に沈殿した澱は蓄積されやがて毒となる。
一方、途上国には歴然と不条理が蔓延している。アルゼンチンの経済が崩壊したとき、一晩で貨幣価値が4分の1になり、にわか乞食が街にあふれた。ボリビアのポトシでは、スペインの支配が終わってもなお、鉱夫は劣悪な条件の下で働きづめ、50歳を待たずに死んでいく。政情不安による暴動が頻発するベネズエラでも、マフィアが公然と街を支配するコロンビアでも、南米中のあらゆるところで不条理を目の当たりにしてきた。しかも、そのどれもが即刻生死にかかわるほどに深刻である。
非日常を求めて旅に出たところでその旅が長ければ長くなるほど、日々は日常化する。新しい景色を探すことや他人と出逢うことが億劫になってしまうほど、好奇心を失ってしまえば旅は終わりにしたほうがよい。中には日本に帰るのを先延ばしにするため、同じところになにをするわけでもなく、ずっととどまっている旅人もいる。
パタゴニアで遭難して九死に一生を得た。正気を取り戻して南米に来て、その南米で死線から帰ってきた。たくさんの不条理にも負けなかった。私はずいぶん変わった。我ながら強くなったと思う。それでも、日本に帰るのを躊躇した。帰るのが怖かったのだ。
ベネズエラに半年もいた。どこに足を踏み出せばいいのかよくわからなくなっていた。そこにその人がやってきた。長い時間を一緒にすごしたわけではない。彼にとって私はただの通りすがりにすぎなかった。しかし、彼との出逢いは確実に私を救った。私が旅に出た理由もベネズエラで足踏みをしている理由も彼は知らなかったのだから、私を励まそうとか力づけようとして言ったのではない。けれど、これ以上にないタイミングとあたかもあらかじめ決まっていたかのような必然性を持って、彼は水の結晶の話をしてくれた。
「水を凍らせると結晶ができるんだ。雪の結晶みたいにね。美しい、優しい言葉をかけて凍らせるときれいな結晶になるのに、汚い、嫌な言葉をかけて凍らせると醜い結晶になってしまう。地球上の陸と海の割合が3対7であるように、人体の7割が水でできている。だから、いつも気持ちよく、楽しく生きることが大切なんだ。そうすれば、身体中がきれいな結晶をつくる水でいっぱいになるんだよ」
どんな言葉も素通りしていった心に響いた。本当に大切なことはいつも素朴で、だからこそ疑う余地がない。人の営みというものがどこでもそんなに変わりがないということは、これまでこの目で見てきたとおりなのだから。一本の糸を複雑に絡めているのは、実は自分自身なのだ。堂々めぐりに追いつめるのも呪縛から解き放つのも、他でもない自分なのだ。どこにいようと自分自身をさらさらしたきれいな水で満たそうと力いっぱい思った。
その人は南米で写真を撮っている。やわらかい心とまっすぐな目をしたまま、彼は旅を続けていくだろう。そして、たとえどんなことがあっても彼は写真を撮り続けるだろう。なぜなら、それが彼の仕事であり、天命であるからだ。これまでも、これからもずっと。
彼がしてくれた話に導かれてどうにか日本までたどりついた私は、5月に京都で大学の先輩に逢った。劇作家で演出家でもあるその人と逢うのは、10年ぶりだろうか。みんなに「どうしてたの?」と訊かれて、「ちょっと精神、病んじゃって」と笑いながら答えた。同級生たちはいかにも気の毒にという感じに眉を寄せて見せたが、彼だけが伏せ目がちに静かに笑っていた。この中で私の気持ちがわかるのは、きっとこの人だけだろうなと思った。大きな賞をとった彼のところには、学生時代の演劇仲間からの連絡はない。彼らはもうとっくに芝居をあきらめていた。
ふと南米を撮り続けている写真家のことが頭をよぎって、私はひとつ質問をした。
「好きなことを続けていくとか、それで飯を食うってことは、ただひたすらそのことへの情熱の強さだけの問題ですよね?」彼はなんのためらいもなく答えた。「そうやな」
彼にとってもまたそれが彼の仕事であり、天命であるのだ。たとえそれだけでは飯が食えずに他の仕事をしたとしても、彼が芝居を止めることはやはりありえないことなのだ。
私がちょうど大学に入った頃から、自己実現という言葉が使われ出した。初めて聞いて以来、この言葉にはずっと違和感がある。夢を叶えなければ、自己はないということなのだろうか。そうだとしたら今在る自己は、確かに存在するあなたは、そして私は、いったいなんなのだろうか。そもそも”夢”とは叶わない願いをあきらめるときに、しぶしぶあてはめる言葉なんじゃないのか。想いを現実にするために誰もが生きている。もし初めの思惑が外れたとしても、そこに至るまでに身体の中にきれいな水がさらさらと流れているのなら、結果よりもその過程こそがなによりも貴いのだ。
あらゆるものとの出逢いが旅なのだとすれば、旅は人生であり、人生は旅そのものである。そして、人はみな旅人なのだ。あまりに過酷な出逢いに泣き狂うこともあれば、あまりに素敵な出逢いに歓喜することもあるだろう。たとえば新宿でスクランブル交差点を渡りながら思う。これだけたくさんの人とこんなにそばにいても、知り合う術もなくすれちがっていくだけなのだから、言葉を交わすほどの出逢いはもうそれだけで奇跡なのだと。もしある出逢いが直後に深い傷をもたらしたとしても、そのことから学んで自分が強くなるためのよい機会だったと振り返る時がやがては来る。無駄なことなどなにもない。
外から見ると日本のよさがよくわかる。戻ってきてそのよさを再確認した。どれだけ旅を重ねても、自分が日本人であることに変わりはないし、育んでくれた故郷は唯一無二である。そこで生まれて学生生活を送ったからこそ、京都は私にとって世界で一番なのだ。途上に在るすべての人は、どうか内なる日本のことをときどき思い起こしながら、旅を続けていってほしい。それこそが個々が回帰すべき原点なのだから。
南米で自分にしか見えない地図を手に入れた。これからはその地図に導かれて旅をする。地図があるありがたさをかみしめながら。刹那も理不尽も、虚しさも偽りも、弱さも汚さも、あらゆる負の要素を描きながらも、触れた人がきれいな水で満ちるような、言霊を宿した言葉を紡いでいこうと思う。どんなことがあっても止めはしない。それが私の天命なのだから。すでに地図を携えている人も、まだ地図を探している人も、もう地図を捨ててしまった人も、探すことさえあきらめてしまった人も、イラクで拘束されている若者を含む、人生という長い旅の途上に在るすべての旅人の無事を祈る。お互いによい旅を!
2004・10・29 日本・滋賀にて執筆