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最終更新日 2004/10/29

シウダー・ペルディーダ

<2004・4・9掲載>

 この二日間、充分に走らせてもらえない競走馬のようなもの足りなさを感じていたにもかかわらず、その急勾配につくられた長い石の階段には膝が笑いそうだった。


 コロンビアはサンタ・マルタ近郊にある、シウダー・ペルディーダ。11〜14世紀にかけて先住民タイロナの人々によってつくられた山岳都市である。

 スペイン人の侵入により彼らは、自らが築いた都市から姿を消した。タイロナの末裔であるコギの言葉で"タイロナの"という意味を持つ、テユナと呼ばれるこの都市は、征服者がこの地に持ちこんだスペイン語の名のとおり、"失われた都市"となり果ててしまった。

 今となってはほんの二軒、コギの人々の家が片隅にあるのみで、その残ったわずかな人々でさえも、その周辺を拠点とする武装ゲリラに脅え、めったなことではその家には立ち寄らないのだという。

 シエラ・ネバダ・デ・サンタ・マルタという山の斜面北西、標高1000〜1300メートルの間に、すでに発掘、復元された住居跡が160、さらにまだ埋もれたままで発掘予定のない住居跡が500ほどもある。

 住居跡はそれぞれ石の階段でつながっており、トレッキングスタート地点マチェテ・ペラード村から歩き始めて三日目、8回の渡渉ののち川岸に現われる、第一住居跡までのそれは実に1200段にもおよぶ。訪れた者にはテユナへの入口である。

 トレッカーにとって、自分のペースとストライドで歩けないほどつらいことはない。

 急な長い階段が緑濃い苔におおわれているのは、見た目にはとても美しいものだが、滑りやすく、歩幅が合わず、歩きにくいことこの上ない。おまけに一段、一段が狭いため、足がきちんと石に載ってくれず、足元がおぼつかない。

 険しい1200段のあとには、緩やかにさらに800段が続いていく。まるで訪れた者を拒絶するかのような1200段と一転して歓迎するかのような800段。そんなことを思いながらのぼっていくとテユナの中心部が現われた。

 ブリタカ谷を見下ろす、その高台にはひときわ大きな住居跡や祭事が執りおこなわれた広場があり、その後ろには長い滝がとうとうと流れ落ちている。女性と豊饒の象徴である、蛙の形をした岩は太陽が昇る東を向いて座っている。

 タイロナの人々にとって、ここはすべてが揃っている完全な処なのだ。そうとしか思えない。ここにはなにかがある。言葉にできないというよりも、言葉にするのが惜しいくらいの大きな力をとても強く感じた。

 満月の夜、その思いをさらに深めることになる。

 この時季、テユナのあるシエラ・ネバダ・デ・サンタ・マルタ国立公園では、昼過ぎから夕方にかけて雨が降り、夜半まで曇ることが多い。

 月の出を待ちくたびれて、ツアー同行者たちはマリファナを吸って嬌声をあげたり、街から持ちこんだヒップホップをかけたりしている。

 そんな喧騒から離れ暗がりの中に座って、ひとり静寂に耳を傾けていた。一時も休むことなく流れる滝、時折木立を揺らす風、そして虫の音。かつてタイロナの人々がここで聞いたであろう音。時を経てもなんら変わることのない自然の響き。

 まもなく日付が変わろうとしていたが、雲はなかなか晴れない。

 月が雲におおわれてはいても、いつもより明るい夜だった。まるでフットライトを灯したように蛍光する植物に縁取られた階段をゆっくりとおりる。テユナの中心を目指す私の目の前に蛙の岩が照らし出された。雲が流れ始め、満月がその切れ間から現われていた。

 黒く大きな山の影にぐるりを囲まれた、高貴な人々が住んでいたという広い家の跡地に寝転がり空を仰ぐ。

 まんまるい月は、厚い雲のトンネルの彼方にぽっかり開いた、どこか別の世界への入り口のようでもあり、かっと見開いた巨大な眼球のようでもあった。

 テユナに至るまでの道で、馬にまたがったコギの男に会った。その男は南米のモンゴロイドに特有な形の鼻をしていた。白い織物の貫筒衣に黒い髪を長くたらし、馬をまるで自分の手足のように駆っていた。強烈なまでの生命力を放つ全身と強い光を宿した眼。彼が強い生き物であることは一目瞭然だった。男は私に向かって軽く手をあげると、峠の向こうへと走り去っていった。

 雲の切れ間にのぞく満月は、そのコギの男の眼を思い起こさせる。

 ようやく星も出始めた。満月の下では満天の星空はありえず、月にかき消されないほど明るい光を放つ星しか見えない。テユナがタイロナの人々と活気で満ち溢れていたときよりはるか昔にその星々を発った光が、今こうして私に届いている。

 いつのまにか雲がひとつもなくなっていた。満月の白い光が私を、そして地上にあるすべてのものを照らしていた。深くゆっくり呼吸した。そうすれば、光で身体の中が満ちるような気がした。あのコギの男のように、そしてこの月のように強い光を眼に宿らせて生きようと、闇が薄れ空が白むまで、何度もくりかえし自分に言い聞かせていた。


2004・2・14          コロンビア・サンタ・マルタにて執筆

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