最終更新日 2003/09/19
社長秘書アニーの生活
<2003・5・16掲載>
社長秘書アニーの朝は早い。彼女の勤務先である、日系パラグアイ企業は遠かった。徒歩で5町、さらにバスで1時間15分あまり。ちなみに"町"とは街区、ブロックのことで、パラグアイをはじめとする南米に住む日系人が今も普通に使っている、彼ら自身や彼らの家族が発った当時の日本で使われていた言葉である。パラグアイは1936年に入植が始まり、現在約6000人の日系人が住んでいる。
パラグアイのバスはジェットコースターのようだわとアニーは毎日思わずにいられなかった。今日もバスは満員で改札を通れず、入口付近に立っていた彼女はもう少しで振り落とされるところだった。運転の荒いバスはまるでロデオだ。しかし、それでもアニーが以前いた、グアテマラのバスよりもまだマシだった。グアテマラは少しでも多く人を積むために通路がないに等しく、そのわずかな空間にさえも半ケツで無理やり人が座っているありさまなのだ。
アスンシオンの中心を過ぎるとようやく席が空いた。やれやれ。アニーは腰かけ、かばんからパンとジュースを取り出すと一口かじった。朝は食べる暇があるなら、少しでも寝ていたいアニーであった。
しかし、幸せなひとときというものはそう長くは続かないのが世の常である。
爆発音が数回連続して、彼女の座っている真下から聞こえ、焦げ臭いにおいが車内に充満した。間もなくバスは路肩に急停車した。運転手に言われるまでもなく、乗客は降り始めた。やれやれ。アニーは仕方なく食べかけのパンをしまい、後に続いた。つい数日前にもパンクでバスを乗り換えたばかりだった。日本では車検に通るはずのないバスが、もうもうと黒煙を吐きながらこちらでは普通に街中を走っているのである。
しかも、悪いのはバスだけではなかった。
晴天では40度を上回ることも珍しくない、蒸し暑いアスンシオン。雨が降ると涼しくなり、しのぎやすくなるが、それでもアニーは雨の日と雨上がりが嫌いだった。
なぜならここは道も悪いのだ。熱帯特有のスコールが降ると排水の悪い道路は濁流と化した。返すつもりもあてもないパラグアイにご親切に日本が貸してくれた円借款のおかげでほとんどの道路が舗装されているとはいえ、そこはラテンの常、詰めも甘ければ、整備も行き届いていないので、穴ぼこだらけなのである。雨でできた水たまりを車が通ると、それは盛大にはねがあがるのだ。おかげでアニーは何度も頭から泥水をかぶっていた。
毎朝、疲れ果てて会社にたどりつく彼女を待ちうけているのは電話応対。さまざまな国から移民を受け入れているパラグアイには日本人コロニーもあれば、ドイツ人コロニーもある。イタリア系、フランス系もいれば、東欧系も多い。キリスト教の一派メノー派(アーミッシュ)が住むフィラデルフィアからの電話は彼女を困らせた。スペインの植民地だったパラグアイの公用語はもちろんスペイン語なのだが、フィラデルフィアではいまだに18世紀の古いドイツ語を話しているため、ドイツ語訛ったスペイン語の電話がかかってくるのだ。もちろん海外からの電話も頻繁にかかってくる。特に隣国ブラジルからのポルトガル語訛りのスペイン語も困りものだが、もっと困るのはパラグアイ国内からの電話だ。パラグアイのスペイン語は現地で話されているグアラニー語訛りなのである。抑揚がなく、こもっているのでとても聞き取りにくい。しかも、スペイン語圏の名字だけではないので、まだ耳のできていないアニーには電話の相手の名前さえも聞き取れないことがよくあった。
翻訳や通訳もアニーの仕事だ。会社の損益計算書から農作物、法律関係の文書にいたるまで日本語からスペイン語、スペイン語から日本語に訳す。日本では経験がないばっかりにやらせてもらえなかった念願の翻訳の仕事に、ここでは追われるどころか、追いまくられる毎日である。
そんな彼女の月給は300万グアラニー。パラグアイの最低賃金は100万グアラニーで、同じ会社に勤めているパラグアイ人社員は150万グアラニーだから、まずまずの高給だ。しかし、2002年7月に契約をしたとき、500ドルだった300万グアラニーは、彼女が働き始めた2003年1月には430ドルにまで落ちていた。通貨の暴落でたった半年の間にどんどん給料が目減りしているのである。いくら1ヶ月100ドルちょっとで生活できるとはいえ、これはあんまりだわとアニーは思った。
そんな彼女の昼休みの楽しみは、社員食堂でバリエーションに乏しいパラ飯を食べた後にゆっくり新聞を読むことだった。アメリカから送られてくる国際版の日経新聞の購読料は月2万2千円。個人には高嶺の花である。NHKを見るなら月30ドル。ケーブル回線のインターネットのつなぎっぱなしが月90ドル。NHKはともかく、せめてインターネットを時間を気にせずにつなぎたいというのがアニーのささやかな願いだった。しかし、アニーに立ちはだかる現実は厳しかった。プロバイダー料金だけでも最低3000グアラニー、加えて電話代が6000グアラニーと、自宅でのインターネット接続には1時間9000グアラニーもかかるのであった。かくして、彼女は休みの日もわざわざバスに乗ってインターネット屋に通っていた。それなら、ケーブル回線で速く、1時間5000グアラニーですむからだった。
夕方6時がアニーの終業時間だ。彼女は朝8時から働いている。10時間拘束、9時間労働という厳しい勤務時間だ。パラグアイはまだ発展途上国だし、そんなものなのかなと思っていたら、やはりここでも8時間が普通なのだそうだ。パラグアイで成功しているのはほとんどが日本人か、ドイツ人だ。日系とドイツ系企業ではきっと1日9時間ばりばり働いているのだわとアニーは思った。
彼女は帰りももちろんバスに乗る。長距離バスでもないのに、飴やガム、飲み物から薬草、カミソリやらテレビのアンテナにいたるまでありとあらゆる物売りが入れ代わり立ち代わり乗りこんでくる。
アニーが楽しみに待っているのはチパ売り。チパとはアルミドンというマンジョウカのでんぷん粉とチーズをこねたパンだ。マンジョウカは中米ではユカ、アフリカではキャッサバ、アジアではタピオカと呼ばれる芋で、原産地はブラジルとメキシコである。アニーはチパのもちもちした食感がとても気に入っていた。温かいうちがおいしいので、売り子が来たら手をかざして焼き立てかどうか、いつも確かめてから買うようにしていた。ひとつ500グアラニー。外側は堅いが中はほくほく、もちもちしている。彼女はチパがパラグアイで一番おいしい食べ物だと信じている。
ボリビアのサンタ・クルスを旅していたとき、彼女はクニャペにはまってクニャペばっかり食べていた。クニャペもチパと同じようにアルミドンとチーズのパンだ。ブラジルにもポン・ジ・ケージョというチーズ味のもちもちパンがある。いつかブラジルでポン・ジ・ケージョを食べることを心待ちにしているアニーであった。
週末、アスンシオンの中心はゴーストタウンと化すため、アニーは買い物はもっぱら郊外のショッピングセンターですましている。銀行のATMも両替屋もショッピングセンターにあるのでたいがいの用事はそこですむのだった。
パラグアイに来て彼女が一番驚いたのは、シティバンクのカードでシティバンクのATMの引き出しができないこと。そんなはずはないとアニーは思ったが、それはまぎれもない事実であった。日本のシティバンクとこっちのシティバンクで使っているシステムが違うのが原因であるらしい。ちょうどいいわ、したくても無駄使いできなくてとアニーは思うことにしている。
週に一度の買い出しをすませたら、アニーにはインターネット屋以外に行くところがない。アスンシオンどころか、パラグアイ全体に観光するようなところがまったくないのである。有名な大瀑布イグアスの滝は以前はパラグアイ領だったが、現在はブラジル領、アルゼンチン領である。1864年に起こった三国戦争でパラグアイが全国民の半数近い25万人の命とともに失った領土である。その腹いせにボリビアにしかけたチャコ戦争ではチャコ(大草原)の大部分をボリビアから奪ったが、結局ボリビアに残ったわずかなチャコから原油が出た。「骨折り損のくたびれもうけ」とはチャコ戦争でのパラグアイにまったくふさわしい言葉だ。まるで日本での私のように要領が悪くて、ついてない国なのだわとアニーはことあるごとに思った。
週に一度しか買い出しにいけないアニーは毎日腐敗と戦っていた。どんどん腐っていく冷蔵庫の食材を腐る前に料理しなければならないのである。今日はなにを食べようかなではなく、今日はどれが腐りそうかなというのが献立を選ぶ彼女の唯一の基準なのだ。手足に這い上がってくる蟻と肌に群がってくる蚊を追い払いながら、今日も自炊に励むアニーなのであった。
また夜が明けた。出社だ。6時半、いつものように家を出て、いつものように5町歩いたところでアニーはバスを捕まえようとした。が、バスは停まろうとしない。満員で乗せてもらえないということもしょっちゅうだが、どうも満員ではないようだ。おかしい。どうして乗せてくれないのか。2台乗せてもらえず、3台目の運転手が前を指差した。アニーはやっと気がついた。試しにさらに1町歩いて停めてみると果たしてバスは停まった。乗り場が変わったのである。変わったといっても元からサインもなにも出ていないただの道端にすぎないのだが。
今朝また彼女の道程は遠くなった。アニーが遅刻常習犯なのはけっして彼女のせいではない。2003・3・25 パラグアイ・アスンシオン(ハマナスセンターにて執筆)
注 アニーとはパラグアイで働いていたきょきーとの会社での呼び名である。アニーこと、きょきーとは諸般の都合で3月12日にわずか勤続2ヶ月で退職し、現在、南米から中米に向かっての旅を再開、北上を続けている。