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最終更新日 2003/09/19

グランチャコの果てへ

<2003・4・11掲載>

 2003年1月12日、パラグアイ首都アスンシオンに向かうため、標高3650mと世界最高所にある、ボリビア首都ラ・パスを出た。


 ボリビアはとんでもなく道が悪い。まともに舗装されているのは、憲法上の首都スクレと鉱山のあるポトシ間、実質上の首都ラ・パスと商業都市サンタ・クルス・デ・ラ・シェラ間ぐらいなもので、あとは未舗装道路である。

     
 特にラ・パスからユンガス地方の常夏リゾート、コロイコに向かう道は世界一危険といわれており、年間300人が交通事故死する。カーブが多くて見通しの悪い、バスが一台通るのがやっとの細い山道なのだ。私がコロイコに行く数日前にも転落事故があったばかりで、死体が散乱しているカラー写真が新聞の一面を飾っていた。道沿いのいたるところに立っている十字架がこれまでの死者の数のすごさを物語っている。


 最も肝心なラ・パスとサンタ・クルスを結ぶ道路は三本ある。コロイコ、トリニダーを経由する道とコチャバンバから二股に分かれるものの、いずれもサンタ・クルスに向かう二本の道である。


 以前、コロイコ、トリニダー経由でサンタ・クルスに行ったことがある。晴れれば埃まみれ、雨が降れば泥沼というどっちにしてもどうしょうもない悪路だ。晴れているとバスの車内のありとあらゆるものにどんどん埃が積もっていく。かけている眼鏡がまるで寒い夜にラーメン屋に入ったかのようにたちまち見えなくなっていく。しかも線香の灰のように粒が細かい土埃なので、Tシャツのすそで拭ったらレンズが傷だらけになってしまった。ところがいったん雨が降り出すとタイヤをとられ、バスが何度もスタックする。そのたびに水を入れた田んぼのような道に乗客全員が降りなければならないはめになる。


 コチャバンバから二本に分かれる道はいずれもコカ栽培地帯を通る。そのうちの一本は舗装された幹線道路でボリビアで最も重要な道である。


 ボリビアにはコカの葉を噛んだり、湯を注いでお茶にして飲む、昔からの習慣がある。コカの葉を噛むと疲れや空腹を忘れることができるため、噛みながら鉱山労働などのきつい仕事をするのだ。これはバッタのようなひどい味がする。コカ茶には利尿作用があり、身体の新陳代謝がよくなるため、高山病に効く。こちらは普通のハーブティのようで飲みやすい。


 しかし、コカの葉はコカインの原料でもある。コカ栽培農家のバックにはコカイン密売組織がついていて、彼らを裏で操っているといわれている。このあたりはボリビアで最も危険なエリアである。おかげでボリビアで最も重要な幹線道路は、コカ栽培農家のストライキでしょっちゅう道路封鎖される。


 パラグアイ・アスンシオンへの国際バスは、サンタ・クルスから出ているため、まずはラ・パスからサンタ・クルスに向かう。平穏無事なら18時間のなんてことはない道程だ。サンタ・クルス行きはラ・パスを17時に出た。その日はたまたまエコノミークラスがなく、カマと呼ばれる、広い座席のちょっと高級な長距離夜行バスしか出なかった。少し高かったが、おかげでよく眠れた。


 早朝大きな音で目が覚めた。あわてて起きると座席のすぐ前の窓ガラスが割れていた。投石だ。まだ日が出ておらず、暗くてよく見えなかったが、バスは遠巻きにコカ栽培農民に囲まれていた。しかし、彼らとバスの間にはすでにたくさんの軍人がいて、バスを護衛していた。


 やれやれ。安心してもう一度寝なおす。こんないいバスにはめったに乗れないのだから、どんな状況下であろうと寝るにかぎる。農民の投げる石が何度もバスの車体にあたる音はしていたが、不安はまったくなかった。


 次に目を覚ましたときにはすでに外は明るかった。道路のいたるところに農民がおいた、木の切り株やガラス片、粗大ゴミなどを軍が片づけ終わるたびに、バスはのろのろとわずかに進むということを繰り返していた。どうもエントレ・リオスというところにいるらしかった。


 時々、バスの側で護衛をしている軍人が窓を閉めるよう乗客に指示した。外では催涙弾を使っているのだ。蒸し暑いが開けるわけにはいかない。私の乗っているバスの前にもう一台バスがあり、その前方で農民を軍が制圧しているようだった。乾いた発砲音が何度も聞こえたが、その様子は前のバスで見えない。バスのすぐ脇では軍人が談笑している。彼らには毎度のことなのだ。


 結局、道路封鎖されているエリアを抜けるまでに6時間かかった。11時にサンタ・クルスに着くはずが、着いたのは5時間遅れの16時。アスンシオン行きは20時に出る。おかげで、赤提灯が目印のケンの店で焼鳥を食べることも、スーパーオキナワでいなり寿司を買うことも、街の中心にある9月24日広場でなにもかもを悟ったような顔をしたナマケモノを見ることもかなわなくなった。


 道路封鎖でのろのろ進む6時間の間に雨が降った。嫌な予感がした。ボリビア・サンタ・クルスからパラグアイ・アスンシオンまではバスで36時間。ただし、道の状態がよければの話だ。チケットは45ドル。手持ちのボリビア通貨225ボリビアーノスと15ドル払って、残った20ボリビアーノスで、水とパンを買っておく。道は問題ない、今日の夕食と翌日の朝食と昼食がつくとバス会社はいったが、そんな客寄せの言葉はあてにならない。


 ターミナルでバスを待つ4時間の間にまた雨が降った。ああ、もうだめだ。案の定、サンタ・クルスを出て、未舗装道路が途切れたとたんにバスは停車した。この先は、明るくならないと危ないので走れないと運転手は説明した。中南米には仕方のないことが多すぎる。バスに乗りこむときにもらった夕食をかきこんで寝る。


 明るくなってからもバスは遅々として進まなかった。まるで高速道路沿いの深夜のドライブインみたいにバスやトラックが連なって停まり、ショベルカーがどろどろの道を整備するのを待っていた。やっぱり朝食は出ない。貨物トラックが積荷の果物を売り始める。近くの村からも物売りが来た。サンタ・クルスを遠ざかるにつれ、どんどん村が、民家がなくなっていき、手持ちがなくなるとこの先は食べる物に事欠くかもしれないなあと思った。


 45ドルも払っているのにバスにはトイレがついていない。ボリビアのバスは高かろうが安かろうがトイレはまずついていない。全然進まないバスから降りて、どろどろの道を横切り、路肩の木の陰にしゃがむ。そこまではよかったのだが、戻ってくるときにぬかるみに足をとられ、抜けなくなってしまった。なんとか足を抜いたが靴は泥の中に残ったままだ。やれやれ。すでにどろどろの靴下を脱いで裸足で踏ん張り、畑の大根を抜くように靴を引っこ抜いた。まるで田植えのような格好になった。


 こんな調子でのろのろ進むこと丸一日、カミリというところからやっと舗装道路に変わった。やっぱり夕食も出ない。二人の運転手がコカを噛みながら、交替で一晩走り続けてビジャモンテにたどりついたところでやっと昼食が出た。バス会社が契約している店に着かないかぎりは、食事は出ないことになっていたのである。


 夕方、やっとたどりついた国境手前の軍の駐屯地で出国手続きをすませた。ボリビア最後の村で夕食休憩があったが、もう手持ちのボリビアーノスがない。ビジャモンテで買っておいたパンと水でしのぐ。


 サンタ・クルスからアスンシオンまで、結局68時間かかることになるのだが、この路線を12年走っているという運転手は、最長17日かかったことがあるといっていた。サンタ・クルスからボリビアを出るまでよりも、パラグアイに入ってからアスンシオンまでの方がよっぽど長い距離なのだが、とにかく文字通り泥沼にはまってなかなかボリビアを抜けられないのだ。まったくてこずる国だ。


 いつのまにか、周りの景色はすっかりグランチャコ(大草原)だ。


 早朝、荷物検査で乗客全員バスを降ろされる。パラグアイはどの国境もチェックが甘いが、国内の検問はやたらと多くて長い。もちろん賄賂目的である。ボリビア人の持っているコカの葉は没収されるものと思っていたら、あっさりパス。大量にないとコカインはできないので、個人が使う程度の量ならいちいち見咎めないのだろう。


 パラグアイに入るといきなり道がよくなった。日本の円借款とODAのおかげで、パラグアイの道はかなり舗装されている。しかし、パラグアイに入ってからすでにずいぶん走ったがなかなかイミグレーションは現れない。国境とイミグレが離れているのはパタゴニアでもよくあったが、どこもここまで離れてはいなかった。結局、パラグアイに入ってから、サンタ・クルスから国境までと同じくらいの距離を走ったところで、ポソ・コロラドというところに着き、ガソリンスタンドの一角にあるお粗末なイミグレで入国手続きをすませた。


 赤土の台地に広がる、濃い緑の上に朝焼けが燃えている。グランチャコの夜明けだ。この彼方になぜか一杯のラーメンがきっかけでいきなり決まった、期間非限定の仕事が待っている。このチャコの果てでしばらく暮らすことになる。

2003・3・15 パラグアイ・アスンシオン(ハマナスセンターにて執筆)


<後日談>


 2月12日、働き始めた私のところにペルー・リマで知り合った友達から電話があった。彼もやはりバスでサンタ・クルスからアスンシオンに来るというので、韓国焼肉でも食べにいこうよと約束をしていたのだが、到着予定日を過ぎても連絡がないため、心配していたのだ。なんと乗ってきたバスからコカインが発見され、彼を含む乗客全員が長時間に渡る拘束を受け、おかげでアスンシオンでの滞在時間がなくなり、会えなくなったとのこと。社員食堂でご飯を食べていたら、昼のニュースでやっていた。コカインはご丁寧にチーズの中に仕込まれていた。


 エントレ・リオスで私が巻きこまれた道路封鎖は、軍と農民の衝突により4人の死者が出たということを勤め先に来たファックスで知った。ラ・パス在住の友達からのメールによるとその後、道路封鎖で物資が運べず、ラ・パスでは食料品が値上りしたり、2月半ばには暴動が起き、政府関係の建物が焼き討ちにあったり、どさくさまぎれの略奪が相次いだりとろくなことがなかったようだ。

 

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