最終更新日 2003/09/19
インカ面にご用心
<2003・3・4掲載>
南米にはチリから入った。軍の力が強い国というのはまず治安がよく、警察官もまともだ。通貨も安定しているチリは物価が高いぶんだけ、安全である。
チリの次に入国したのはアルゼンチン。通貨の安定とは関係なく、経済危機を迎える前からこの国の警察は腐っている。イタリア系移民が大多数をしめることもあって、人種差別も根強く残っているように感じた。アメリカドル:アルゼンチンペソ=1:1の固定相場制が崩れた直後に入ったので、ブエノス・アイレスは治安が悪化していたようだがさほど気にならなかった。
ウルグアイは見るところがないわりに、観光客相手の店はほとんどドル建てで、しかもばか安のアルゼンチンから来たためよけいに物価が高く思われ、すぐに抜けてしまったので、治安がいいかどうかもよくわからなかった。パラグアイもアルゼンチンと同じく、警察が腐っている。住んでいる人によると治安はどんどん悪化しているとのことだがここもさほど悪くはない。
さて、問題なのはペルーとボリビアだ。
ペルー人もボリビア人も先住民が多く、同じようなインカ顔をしている。ペルー人にペルー人とボリビア人の見わけ方を訊くと「ボリビア人は臭い」と言っていたが、実際はどちらの先住民も臭うのであまりに似通っているうえに嗅ぎわけることも難しい。概して、ボリビア人の方が寡黙で誠実なような気はする。どちらも田舎に行くほど人はよく、観光地はすれていてだめである。
この二国に関しては危なさが場所によって異なるので、旅をしたルートに沿って実体験もまじえて説明していこう。
まず、ボリビア・ラ・パス。本物よりも偽物の方が多いんじゃないかというほど、偽警官がいる。ラ・パス中心のいたるところにいるが、特にボリビアに着いたばかりの旅行者が多い、バスターミナルやセメンテリオ(墓地という意味。墓地の前にペルー国境へのミニバスの発着場がある)周辺に出没する。
手口は三種類ある。
まず、観光客が道を訪ねてきて標的の足を止め、そこに警察官と名乗る男がやってきて、麻薬捜査と称して荷物検査をするというもの。現金が入っていれば、もちろん抜かれる。観光客はもちろんグルで、ロンリープラネット(欧米人バックパッカー御用達のガイドブック)を持っていることもある。偽警官は私服を着ていて、身分証をちらっと見せて英語で話しかけてくる。このパターンには二回遭ったが、二回とも「コンチネンタルホテルはどこか」と観光客役は訊いてきた。しかも、スペイン語で話しかけてきたうえに全然ラ・パスと関係ないロンプラの頁を開いて見せてきたので、どう考えても英語がわかっているとは思えず、怪しいなと思ったとたんに偽警官が来たのですぐに逃げた。
二つ目はこの偽観光客抜きで私服警官が一人で職務質問するというもの。このパターンも二回遭った。そもそもボリビアの警察官が英語で話しかけてくるわけがないし、みんなちゃんと制服を着ている。ボリビアだけにかぎらず、観光客に英語、あるいは日本語で話しかけてくる連中はまず怪しいと思って間違いない。
三つ目はタクシーに警官が乗りこんでくるというもの。タクシーの運転手と偽警官はもちろんグルである。それなら、タクシー強盗の方がよっぽどてっとり早いのだが、彼らは律儀に警官詐欺をしかけてくる。
もし、路上で遭ったら絶対に足を止めないこと。タクシー車内で遭ったら、隙をみて逃げるか、警察署でなら検査に応じると主張すること。ペルーのリマやクスコで頻発しているタクシー強盗もぼちぼちラ・パスで起きているようだ。タクシーに乗るなら、タクシー会社の電話番号を掲げているような身許のしっかりした車を止めること。人気のないところに連れていかれないように気をつけていなければならないので、タクシーに乗ったからといってもおちおち油断もできない。一番いいのはこれらの街ではタクシーに乗らないことだ。
ボリビアのラ・パス、オルーロ、ペルーのプーノ、アレキパでは、頻繁に首絞め強盗が出る。
ブラジルはリオのカーニバル、ペルーはクスコのインティ・ライミと並ぶ南米三大祭のひとつ、カルナバルで有名なオルーロは普段はみどころのない普通の町だが、鉄道への乗り換えの要所である。だいたい親切面で近づいてきて道案内をするふりをして人気のないところに誘いこむのが手口。中には本当に親切な人もいるにはいるだろうが、なにか裏があると思ってかかる方がよい。中南米でまずそんなことはありえないのだが、なぜか強盗犯はその日のうちにあっさり捕まる。そして、案の定警察官は賄賂を要求してくる。オルーロでは首絞め強盗と本物の警察官がどうもグルであるようだ。
クスコで取り締まりが強化されたため、首絞め強盗はこぞってプーノ、アレキパに引っ越してしまったらしい。日本人宿ペンション花田付近を縄張りにしていた賊はあまりに知られすぎてクスコで商売ができなくなり、プーノに根城を移したと聞いた。ティティカカ湖畔のプーノで早朝、葦船トトラの出漁を見に港にいくのは首絞められにいくようなものだ。
イキトスなど、アマゾン川流域のジャングル奥地に行く船は泥棒船である。大部屋に少しでも揺れると隣とぶつかるほど、びっちりとハンモックを吊って寝る。とにかく人口密度が高く、昼も夜も関係なく途中の村で停まり、そのたびに人が乗り降りする。脱いだ靴をハンモックの下にでもおこうものなら、それも持っていかれる。荷物は中を開けられないように鍵をかけ、柱に鎖で縛りつけてさらにまた鍵をかけておかないといつ持っていかれるか、わかったものではない。
とにかくどこもかしこも置き引き、スリ、泥棒が多い。
バスの網棚、座席の下から荷物がなくなる。トランクに預けたのも屋根の上に載せたのもなくなる。足下において踏んづけておくのが一番よい。市場に買い物に行くにもうかうかしていられない。荷物を持っていると子供を背負った普通のおばちゃんのスリ集団に囲まれる。どこに行くのも手ぶらが一番だが、どうしても荷物を持っていくなら、話しかけられようがなにをしようが絶対に手を離してはいけない。
腕時計もひったくられるので、長袖の下か、ジーンズのベルト通しにでも吊るしてシャツの下に隠すか、いっそのことしないのが一番。道で時間を訊かれても教えてはいけない。腕時計をのぞきこんだとたんにまるで手品のようにはずされて持っていかれてしまう。前を歩いている人がお金を落としたとしても拾ってやることはない。それは間違いなく、落とし物詐欺だ。ここは親切がすべてあだになって返ってくる国なのだから。
先住民のポンチョはスリが手元を隠すのにもってこいだ。ペルーのワラスでスリに遭いかけたが、途中で気がついたので無事だった。開けられたところで開けられるようなところには盗られて困るようなものはなにも入れてはいないが。
リマでは泊まっていたドミトリーでかけていた鍵がはずせるように荷物を切られた。少し切る程度で中が開けられるようなところにはもちろんなにも入れていない。これは泊まっていた宿のせいではなく、どこでも起こり得ることだ。
極めつけはリマからクスコにアバンカイ経由で行くバスの車中で起こった。リマではコピーCDが安く、一枚1ドルほどなのでたくさん買いこんで、袋に入れて網棚の上に載せていた。寝入った後、どうもカーブでそのうちの二枚組一組が落ちたらしい。朝起きると通路を挟んで隣の座席の下にCDのケースだけが落ちていた。そこには夫婦が座っていた。訊くと中身はさっき降りた、私の後ろに座っていた人が持っていったという。ケースと中身が別々の場所に落ちるわけがない。よっぽど彼らの荷物を開けて調べてやろうかと思ったが、そうしなかったのは彼らが子供を連れていたからだ。彼らは子供の前でも平気で他人のものをくすねるが、たとえ事実であっても私は子供の前でその親を泥棒呼ばわりできない。
ペルーのプーノからボリビアのラ・パスに抜けるデサグアデーロの国境で、ペルー側では国境警察に取調室に連れこまれ、5人の警官に囲まれ持ち物を検査された。もちろん現金があれば抜き取るためだ。トラベラーズチェックとシティバンクのカードを見せて、現金は持ち歩かない、ペルーもボリビアも危ないからねと言うと渋々納得していたが、実は服の下にマネーベルトを巻いていた。さすがに彼らは身体にまでは触ってこないからだ。
ボリビア側ではやはり国境警察に持っていたパソコンにいちゃもんをつけられた。買ったときの領収書と携帯しているという証明書を見せろという。これは日本で買って持ってきたもので、チリに入国するときはチリ国内で販売しないように書類を渡され、出国時に提出したが、その他の国ではそんなものはもらっていないと言って納得させ、取調室を出ようとすると警官は金をおいていけと言った。は? 言葉がわからないふりをして警官に同じことを三回言わせた後、おっしゃっておられる意味がさっぱりわかりませんと言い残して出てきた。
ペルーの出国印をもらってからボリビアの入国印をもらうまで1時間。貴重な時間を無駄にしやがって、お前らが私に金払えっちゅうねん。先を急いでいたので日没後に国境を越えたのがまずかった。陸路での国境越えは昼日中にやれということか。インカ面のお巡りは偽物も本物もやることは一緒だ。
嘘つきと泥棒だらけで他人からもらうこととくすねることしか考えていない現在のペルーに未来はまったくないが、この国は過去のものにはとても恵まれている。特にマチュピチュをはじめとする、インカの残した遺跡は観光資源としてペルーをいまだに養っている。そのインカには皇帝が人々に厳守させていた三つの規律があった。それはケチュア語で「アマリューヤ、アマスーワ、アマケェリャ」。「嘘をつかない。盗まない。怠けない」という意味である。インカの人々は善良だったのだ。少なくともスペイン人がやってくるまでは。
2003・2・15 パラグアイ・アスンシオン(ハマナスセンターにて執筆)