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最終更新日 2005/02/25

不況ということ

<2002・6・26掲載>

 行き先を告げてタクシーの後部座席に身を沈めたとたん、涙があふれ出した。初老の運転手は黙って車を走らせた。中米から戻ってきた私に日本の冬は寒くてこたえた。不況の日本でありついた仕事は消費者金融のローンの受け付け。さぞかし景気がいいらしく、送迎タクシー付きでペイもよかったが、一言で片づければ“嫌な仕事”だった。ただお金のためだけに仕方なく最低限要求されることのみをこなしていた。

 半年後、いつも通りにタクシーに乗りこんだ私に運転手が言った。「もう仕事は慣れられましたか?」あの日、静かに私を運んでくれた彼だった。「はい。でも、もう今日で辞めるんです」運転手は仕事は何かと訊いた。「クレジットローンの受け付けです。金貸しの片棒かついでるようなもんですよ」と私が応えると彼は言った。「うちの会社にもね、自己破産したり、会社首になったりしてタクシーの運転手になったのがいっぱいいますよ。嫌な世の中になりましたね」車が目的地に着くまで私たちはしばらく話をし、最後に彼が訊ねた。「で、これからどうするんですか?」「わかりません。しばらく考えようと思います」私はそう応えて車を降りた。そういえば、彼は自分のことは何も語らなかった。どういう経緯で彼はタクシーの運転手になったのだろう。

 あれから更に一年が経ち、私はアルゼンチン、ブエノス・アイレスにいる。南米のパリとまでうたわれたブエノス・アイレスは今、ごみをあさる老若男女のホームレスであふれている。銀行は市民の暴動に備え、頑丈な金属板で砦のように周囲を覆っている。閉じたシャッターや建物の壁、英雄の銅像にさえ、すさんだ言葉が書きなぐられ、その前では家のない子供たちが戯れ、行き場をなくした老人が座りこんでいる。

 昨年末、米ドル:アルゼンチンペソ=1:1の固定相場制が崩れて以来、アルゼンチンペソは暴落の一途をたどっている。失業率は30とも40パーセントともいわれ、特に北部に仕事が不足しているようだ。

 3月21日、アンデス山脈をほぼ徒歩で越えてチリからアルゼンチンに入った私はいろんな車に乗せてもらってここまで来た。西側アルゼンチン山脈沿いをアルゼンチン最南端ウシュアイアまで南下し、東側大西洋沿いを北上した。見るからに東洋人のヒッチハイカーにアルゼンチン、特にパタゴニアの人々は優しく、お茶や食事をごちそうになったりすることもしばしばだった。雪と氷で凍てついた冬のパタゴニアで人の温かさに心がほぐれるようだった。しかし、この国で自家用車を持っているということはお金の余裕があるということであり、トラックに乗っているということは仕事があるということで、私を運んでくれた人々は誰一人として生活に困ってはいないのだった。お腹が満たされて初めて人は他人に優しくできるのである。

 先日、泊まっている宿のオーナー夫妻に連れられ、中央市場に出かけた。お弁当屋さんも営んでいる、日本人のご主人と韓国人の奥さんが週に一度、買い出しに行くのに同乗させてもらった。市場からの帰り、私たちの車は二回も警察に停められた。理由などない。アルゼンチンではよくあることだ。ここの警察は泥棒と同じ、いや、権力と警棒を持っているぶん、泥棒よりたちが悪い。難癖をつけては金をまきあげようとする。特に東洋人の車はよく停められると悔しそうに奥さんは言った。チュブット州ラゴ・プエロからリオ・ネグロ州エル・ボルソンまで車に乗せてくれた弁護士のおにいちゃんが言っていたことを思い出した。「アルゼンチン人は半分は人種差別的だからね、日本人は人口も多いし、敬意を払われているとは思うけど、ま、気をつけなさい」警察官をはじめとする公務員に払うペソなど国庫に残っていないアルゼンチン政府はレコップ、パタコンという州札を発行し、彼らの給料にあてている。間違いなくインフレを招くことになるのでペソは増刷できない。そうでなくても物価は徐々に上がってきている。フォークランド紛争(これはイギリス側の呼び方でアルゼンチンではマルビナス戦争と呼ぶ。)以降、アルゼンチンはすでに三回の通貨切り下げを経験している。しかし、国内でのみ通用する州札は誰も受け取りたくないというのが本当のところで、地方のスーパーでは支払いがあるたびにレジが滞っているのをよく見かけたし、だいたい店頭にそれらでの支払いが可能かどうか張り紙がしてある。また、これは通貨危機以前からだと思うが偽札もかなり出まわっており、古びて変色した札や高額紙幣でも出そうものなら、かなりチェックに時間がかかる。

 こんな状態で迎えた2002年ワールドカップ。結果は無残だった。アルゼンチン、40年ぶりまさかの一次リーグ敗退。初戦でイギリスに負けたとき、次も負けたら暴動が起こってもおかしくないと思ったが、スウェーデンと引き分けた試合はこちらの明け方に行われたこともあって、アルゼンチンは意外と冷静だった。アルゼンチンのワールドカップ応援歌は“島唄”。そう、ザ・ブームのあの島唄。アルフレッド・カセロという歌手が日本語で歌っている。妙なオリエンタル趣味に走っていない、上手いカバーだ。アルゼンチンほか、南米移民は沖縄出身者が多いのだ。私がここで初めて島唄を聞いたのはナウエル・ウアピ国立公園のラグーナ・ネグラという山小屋だった。前日、トレッキング中突然の吹雪にみまわれ、ビバークしていた私はレンジャーに助けられて山小屋に避難した。地球の裏側で、なかなか体温の戻ってこない身体で聞く、ラジオから流れる島唄に不思議な思いがした。

 アルゼンチンが日本人旅行者にくれる滞在許可は3ヶ月。もうじき期限を迎える私は明日、いったんウルグアイに出国し、またアルゼンチンに戻ってくるつもりだ。貧乏旅行者の私がこんなに長くここにいられるのはアルゼンチンが経済危機であるおかげなのだが、不況の日本を脱出して不況のアルゼンチンを謳歌しているのだと思うとなんとも複雑な心境になる。

2002・6・12 アルゼンチン・ブエノス・アイレス(中華街のカフェにて執筆)

 

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