
最終更新日 2003/12/09
ブラジル<その4>
ブラジルぶらぶら2<サン・パウロ>
2003年4月1日、パラグアイ・アスンシオンを出た。ブラジルは両替所が少なく、不便だと聞いていたので、前もってパラグアイで稼いだパラグアイ通貨グアラニーをブラジル通貨ヘアウと南米に唯一残っている植民地、仏領ギアナの通貨ユーロに換えておいた。ここからしばらくはポルトガル語の世界だ。ポルトガル語は激しくフランス語訛ったスペイン語という感じで、スペイン語で話しかけても会話は一応成立するが、返ってくる相手の応えはわかったようなわからんようなと頼りない。元々ポルトガル語はスペイン・ガリシア地方で話されている、ガリシア語が派生したものだし、海に面したポルトガルはスペイン語の話されている内陸のカスティージャ地方よりもやはり海に面しているカタルーニャ地方との交易が盛んだったため、スペイン語よりもよりカタルーニャ語に似ているといわれている。スペイン語と英語の知識、そしてスペインにいる間に目にした、ガリシア語、カタルーニャ語の乏しい知識を総動員すれば、ポルトガル語はなんとかなりそうだ。
パラグアイ・アスンシオンからバスで21時間(プルマ社・G170000)でブラジル・サン・パウロ着。すぐにリベルダージ地区の東洋人街へ。ここはブラジルであってブラジルでない。ブラジルへの日本人移住は1908年に始まり、日系人口は130万人。東洋人街にはもちろん中国系も韓国系もいるのだが、日本語と日本風がより目立つ。ブラジルでつくっているものもあれば、日本から輸入しているものもあり、日本にあるものの大概がここにもちゃんとある。南米別院のお寺もあれば、新興宗教もある。鳥居をくぐって、赤い欄干の大阪橋を渡り、日本庭園の脇を通って、あんぱんや大福を買いにいくなんて、日本にいるよりもはるかに日本的なのだ。ポルトガル語が話せなくてもここではすべて事足りる。駅前には焼きそばの屋台が出ていて、マクドナルドが日本語で看板を揚げている。通りを歩いていると「日本の日産で働きませんか」とポルトガル語で書かれたチラシをもらった。ブラジル日本移民史料館(”学割”R$1.50)では開拓当時の生活から日本に出稼ぎにきている日系人まで紹介されている。不景気な日本でも仕事さえあれば、いまだにブラジルよりもはるかに稼げるのだ。
東洋人街の鳥居 大阪橋 リベルダージ通りのマクドナルド 串カツ・ピラニア・ドラードの店
カテドラル・メトロポリターナ 市立劇場 サン・パウロの人口はブラジル全人口の8パーセントにあたる、1500万人。そのほとんどがサン・パウロとパラナ州に集中しているとはいえ、ブラジル全人口に占める日系人口は1パーセント弱。ブラジルの中にある日本、東洋人街を一歩踏み出せば、そこはやはりポルトガル語しか通じず、カトリックの教会があり、ヨーロッパ風の建物が並ぶ、南米一の大都市なのだ。サン・パウロ滞在中、ちょうどF1が開催されていて3日間通し券がR$210だとかで日本よりもはるかに安く観戦できるようだった。音速の貴公子アイルトン・セナの墓はモルンビー墓地にある。サン・パウロといえば、近視矯正手術が安いことで日本人旅行者の間では知られている。術前検査、必要があれば再手術費用も含めてR$2620。受けた人によると手術が終わったとたんにいきなり視野が開けるらしい。ど近眼なので開眼して眼鏡、コンタクトなしの生活をしたいのはやまやまなのだが、今は旅費からその費用を捻出するのがつらい。2000年は南極旅行が1500ドルと底値だったが、今年2003年はなんと3倍の4500ドル。しまった、いっておくんだったと後悔してももう遅い。南極はますます手が届かないところになりつつあるが、近視手術はさらに安くなることはあっても、高くなることはない!と思いたい。
質も量も大満足のR$1ランチ いつも満席 サン・パウロといえば、BOM PRATO。激安R$1でデザートの果物と飲物までついたボリュームのあるランチが食べられる店だ。その安さの秘密は1食につき、国がR$1、サン・パウロ市がR$1負担しているから。つまり実質はR$3のランチということ。しかも典型的な庶民のブラジル料理が出る。ブラジル料理といえば、豆。黒豆と豚の臓物を煮こんだ、黒人奴隷の料理フェイジョアーダだけでなく、よく煮豆がごはんにかかってくる。煮豆の代わりにファリーニャというマンジョウカの粉を炒ったものもよくかかってくる。ごはんに芋の粉、つまり炭水化物に炭水化物ということはうどん定食やごはんのおかずにお好み焼きというのと発想はまるっきり同じ。BOM PRATOの料理は安いだけではなく、おいしい。平日11時15分から開店。日替わりランチ1メニューのみ。難点はいつ行っても長蛇の列で1時間ほど待たなければならないこと。サン・パウロ市内に12店舗あり、東洋人街にも1軒ある。