最終更新日 2002/08/06
ベリーズ<その3>
〜ベリーズぶらぶら〜
グアテマラのリビングストンからベリーズのプンタ・ゴルダにボートで渡った。プンタ・ゴルダからダンリガまではずっと道は未舗装だった。バスの窓から入ってくる砂埃で頭も顔も真っ黒になった。多分、当分未舗装のまま捨て置かれるのだろう。なぜならその途中には本当に何もないからだ。それどころかベリーズには日本大使館さえもない。
英領ホンジュラスと呼ばれていたベリーズは、イギリスに奪われた領土であるといまだにグアテマラは主張している。そのためか、グアテマラ・シティで警察官にベリーズ大使館の場所を尋ねたところ、「ベリーズ大使館は存在しないが、この住所はそこだ」とまわりくどいことを言っていた。
グアテマラからベリーズへ水路で入る場合はあらかじめビザの用意が必要。在グアテマラベリーズ大使館で25ドル。シングル・エントリーもダブル・エントリーも手数料は同額。陸路では国境でビザが出るが大使館での申請と同様に顔写真が必要。もし忘れても、グアテマラ側国境の町ベンケ・ビエホ・デル・カルメンにポラロイドで証明写真を撮ってくれる写真屋がある。
さすがカリブ海側は黒人が多い。公用語は英語だが内陸部はかなりスペイン語が通じる。ベリーズの英語はなんというのか、品がない。独特の訛りがあり、とりあえず通じればいいという感じ。黒人はクレオールなのかガリフナなのかよくわからないが、英語とスペイン語とフランス語とアフリカのどこかの言語が混じり合ったような言葉でやりあっている。
椰子とマンゴーはどこにでも生えている。カリブ海で魚は入れ食い。外で寝ていても凍えることはない.。採集で事足りると人は働かない。
国産ビール ベリキン
ベリーズで買ったバンソウコウはイギリス製、チョコレートはジャマイカ製、タマリンドジュースはメキシコ製、椰子ジュースは中国語の上に英語のラベルが貼られていた。ベリーズの物価が高いのは輸入品が多いせいだ。
白浜のビーチが18キロ続くプラセンシア プラセンシアのビーチは期待はずれだった。一見白浜のきれいなビーチでも浅瀬は水草がびっしり生えているのである。しかし、ここからはジンベイザメダイビングツアーが出ている。キーカーカー、サンペドロ発のジンベイツアーはない。
ホテルで蠍の死骸を見た。死んでいてよかったのだけれど、いるっていうことがすでにやだ。こんなところで刺されたら、いったいどこの病院まで行くはめになるのやら。
プラセンシアで立ち寄ったスーパーマーケットでオーナーに日本人かと訊ねられた。聞けば、彼女は沖縄生まれ。父親がアメリカ人で母親が日本人だそうだ。沖縄がまだアメリカだったころ、通っていたアメリカの大学で知り合ったアメリカ人と結婚し、25年前にベリーズに来たそうだ。真っ黒でまっすぐな髪の彼女はどこから見ても日本人だ。沖縄の方言しかしゃべれないと言いながらも少し日本語で話してくれた。
ベリーズ・シティのホテルで会ったアメリカ人は退役軍人だった。ベトナム戦争に二回も行った彼は、メキシコ国境に近いコロザルの土地を見に来たと言っていた。小倉駐在中に日本人の彼女がいたそうで、ずいぶん昔のことだからと言いながらも片言の日本語を披露してくれた。「日本に行くには今はパスポートがいるのか」と彼に訊かれて、私は思わず笑ってしまった。
泊まっていたホテル併設のレストランで朝食を食べていると白いテンガロンハットの男と白いスカーフをかぶった女が入ってきた。まるでアメリカ開拓時代のような服装だった。アーミッシュだ。ベリーズに大きな団体が住んでいるとは聞いていたが、まさかベリーズ・シティで見かけるとは思わなかった。中南米には他にメキシコのチワワ、ボリビアのサンタ・クルス、パラグアイのフィラデルフィアにも彼らのコミューンがある。
セント・ジョンズ・カテドラル 裁判所 ベリーズ・シティからのカリブ海
ダンリガ−ベリーズ・シティ間でバスは小さな町に停車した。首都ベルモパンだった。ダンリガもベリーズ・シティも海岸線沿いにあるので、内陸にあるベルモパンを経由するとは思わなかった。ベルモパンには首都機能しかないが、こんなところにも日本人留学生が一人いると聞いた。いったい何を勉強しているのだろう。
ベリーズはとにかく人口が少ない。そのわりにはアメリカ人観光客が多い。マイアミは目と鼻の先だ。そのせいか、米ドル対ベリーズ・ドルは1:2の固定相場制だ。(ちなみにキーカーカー唯一の銀行、アトランティック銀行のTC手数料は1枚につき1BZドル。ベリーズ銀行は金額の1%。)そして、やたらと中華料理店が目立つ。ここでもやはり華僑はたくましい。